Simple Chic Yoga

私(azico)、夫、息子の3人暮らし。ヨガな日々を綴っています。

通りすぎる思考たち

皿洗い、洗濯物干しなど家事をしていると、たくさんの思い(思考)が出てくるので困る(時もある)。

 

皿洗いをしながら、

世の中の全てについて、偏った見方をしたくないな、と思う。

あの人は、なぜあんなにも偏った見方をするのだろうか、と思う。

と同時に、自分自身がその人のことについて偏って見ていることに気がつく。

 

洗濯物を干しながら、

今までの生き方を振り返る。

自分は何に苦しんでいるのか?何をどうしようとしたいのか?

何を心から欲しているのか?

 

一通りの家事を終えて、一服しようとコーヒーを淹れることにした。

ドリップしている最中、

フィルターから少しずつ染み出し、大きくなるその粒は、その、自身の重さに耐えられなくなるとポタっと落ちる。

カップの中へコーヒーの雫が一滴、一滴、落ちていく。

この雫を見ないで、何が人生だ、と思った。

この瞬間、瞬く間に落ちて消えていく雫を見ること。

自分は、この雫を見続けたいのだ、いや、真摯に見続けていかなければならないのだ、そう思った。

それ以外のものは、なんの価値も意味もないのだな、と思った。

 

今、この瞬間も、世界のどこかではあらゆる雫が一滴、一滴と落ちている。

その雫たちを、私はこの目で見てみたいと思う。

体験するのだ。雫の落ちる様を。

そして、その世界を自分のものにしていきたいのだ。

そう思った。

 

 

 

写経

先週末に歯医者さんへ行き、地獄の歯痛から解放、やっと今日から復活です!

 

今日、写経をしてきました。

筆を持つのはうん十年ぶり。やや緊張でしたが、あっという間の二時間弱。

筆を進めていきながら感じることは、ひたすら自分の内面のこと。

 

うまく書きたいと思う。

いやいや、うまく書くことが大事なのではないのよと思う。

早く書きたいと思う。

いやいや、ゆっくり丁寧に書くのだよ。

まぁ、なんでもいいのだよ。

いや、よくない?

周りが多少気になる。

全然気にならない。

子供たちの声が心地よい。(託児付きだったのです)

面白いことを話しているな。可愛らしいな。

手元は真剣。

文字が震える。

ここは失敗したな。

この字はうまくできた。

ここが苦手。

この字好き。

足が痺れてきた。

肩が痛くなってきた。

色々な思いがぐるぐると巡る。

そんなこんなしていたら、昔に言われた嫌な言葉(正確には、その当時、自分が嫌だな、受け入れられないな、と感じた(反応した)言葉)がいきなりふわっと思い浮かんできた。普段の生活ではもう、思い出さないような昔の、些細な言葉。

今の自分が、同じ言葉を聞いたら同じ反応をするのだろうか?

…するかもしれないなぁ。

でも、そこまで反応するかなぁ。

…どうだろう、わからないなぁ。

なんて思いつつ、それでも確かだなと思ったことは、

「おぉ、自分はどんだけ自由にい続けたいのだろうか!」

「ここまで、私は自由にこだわるのか!」

という、

「自由であること」

への強い欲求を感じたこと。

 

 

内面を見つめる時間、久しぶりでした。

とても楽しかった。自分発掘、やはり面白い。

また、やりたい!

誘ってくれた友人よ、本当にありがとう〜!

 

 

 

知覚過敏!

歯が痛い。一昨日から痛み始め、今は鎮痛剤を飲みながら過ごしている。多分知覚過敏だ。前にも一度、眠れないほど痛くなったことがあって絶対に虫歯だー!と思いながら歯医者さんへ行ってみたら、知覚過敏です。と言われた。

実は、知覚過敏、恐るべし!なのです!

 

昨日の夜に痛みで目が覚めて、ズキンズキンという痛みと格闘していた時、(鎮痛剤をギリギリまで我慢しようと思っていたので)

「自分の身体は、なぜこんなに痛みを感じるのかな?

実は、自分は痛くないのよね。身体が痛いのを感じているのよね。」

(マリオのゲームよね。RPGなのよね。)

と、少し離れたところから観察してみると、結構痛みが治まるような気がした。

これは不思議な発見。

でも、実際には痛みが和らいだ訳ではなく、多分同じ痛みを身体は感じているはずなんだけど。

脳がそれを100パーセント感知してない?というか。

 

いずれにしても、今日これから歯医者さんへ行ってきます。 

ご飯が食べられない…涙(別に食べられなくてもいいんだけれど笑、やっぱり痛いのはいやよね)

 

 

 

人生とは?

人生とは何かを獲得しながら進むものだと思っていた。

物質的なものも、精神的なものも、様々なものを手に入れながら生きていくものだと思っていた。そして、その獲得したものが自分らしさを形作るのだと思っていた。

 

生まれてから…

初めて言葉を話す、初めて歩く、義務教育を受ける、恋をする、社会に出て働く、結婚する、子どもをもうける、家を建てる、車を買う、ペットを飼う、孫誕生……そして、死ぬ。(大雑把!)

 こんな風な所謂平々凡々な人生ってどうかしら?

 

私は、真っ平御免!と思っていた。ドラマチックな人生への憧れがあったようで。

 だけど、今までを振り返ってみたら、そして(頭の中の)これからの道を辿ってみると。

こんな雛形が当たり前にあったのを見つけてしまった。。

あったんだー。。。

 

結局のところ、本当は、あんなふうに皆んなと同じように平凡に生きて、平凡に死にたかったんだ、と思っていたのだ。(多分、ここで重要なのは、この思いを生んだ自分はもうすでに他人軸であるということ。)

しかし、実際の自分は、皆んながいとも簡単にやっているようなことが出来なかった。

私はどうして出来ないのだろうか?不器用。うまくできない。失敗ばかり。

そんな思いで一杯。

で、私は人と比べながら生きるのをやめようと思った。でも、マインドは他人軸のまま。

だから、人と比べて、人と違う生き方を模索してみたり、自分探しをしてみたり、はたまたやる気をなくしてダラダラしてみたり。

自分らしさが見つかったかと言えば、全然見つからなかった。だって、他人軸のままなんだもん。人から見た、イケてる自分像を探していたのだから、他人の評価が変わる度に、自分も変わらないといけない。

なにそれ??それが自分なの?

ってな訳だ。

 

冒頭に話は戻って、、

私は自分を獲得しようとしていた。人生で獲得するであろう、あらゆるものと一緒に。

この手で自分を掴み、あるべき場所に収めようと必死だった。

 

でも、自分は、既に自分だった。

もうとっくの昔に自分だった。

生まれた時から既に在り、外から獲得してくるものではなかった。

自分の中に自分はちゃんといた。

そのことに、本当に気がついたのは、ここ最近のこと。

この自分の存在と、靄の彼方へと見失わぬように、しっかり、しっかりと繋がっていきたいと思った。 

 

私が今までの人生において、獲得してきたと思っている全ては、実は自分のものにはなっていない、ということも薄々わかってきた。そもそも、自分は何も持っていないし、何を持つ必要もないのでは?と思い始めている。

プラマイゼロで死んでいく。そんな気がする。 

 

 

www.pinterest.com

今日、Pinterestで流れてきたマムアンちゃん。彼女はいつも私のど真ん中に届く。

 

 

 

今日、辿り着いたところは…

午前中に用事を済ませてそのままドライブ行こっかなって、

気の向くまま、好きな曲を聴きながら、

ひたすらまっすぐ行くことにして。

 

お昼ご飯を途中で買って、

何処か眺めのいいところで車を停めよう、なんて思いながら、見知らぬ道を進んでいって。

 

綺麗な川沿いは、オレンジ色の並木道。

ずーっと進んでいったらなんと、、、

 

いつものヨガレッスンを受ける場所へ、辿り着いてしまったよー!!!

普段はナビ通りに同じ道しか通らないから、道中全く気がつかなかったー!!

こんなこともあるのねぇ…驚

 

 

こんな風景が見える、とても素敵な場所なんですヨ。

 

幸せな光景である。昼ご飯も旨し。f:id:azicoyoga:20171129204717j:image

 

 

 

今日の駄弁り。

今日は昼間からお酒を飲みつつ、駄弁りつつ過ごしました。本当は美術館へ行く予定だったのだけど、待ち時間が長すぎたのでサクッと諦めました。わーお。

駄弁る・・・むだなおしゃべりをする・べちゃべちゃしゃべくるという意味。明治時代の学生が使い始めた言葉で、大正~昭和初期に流行語として広く普及したそう。そんなに昔の言葉だったのかー!!

 

 そんな昼間は楽しいが、、疲れました(笑)

昔は浴びるほど(!)飲んでいたお酒も、今では年に数回しか飲まなくなり。

昔の自分はお酒が大好きで(が、決して強い訳ではない)ツマミも食べず、ひたすら飲み続けるスタイルでした。居酒屋ではお通しだけで閉店までいた事も数知れず…。(身体に悪すぎるし、お店にも申し訳なかった。)それに、お酒を飲んで寝てしまうなんて勿体無い!!と本気で思っていたから、自分ペースでひたすら飲み続け、一緒に飲んでいた友人たちは1人、また1人と倒れていき、結局残るのは私1人、気がつけば朝日が眩しすぎるぜ…という荒んだ日常を送っていた若かりし頃の自分。どんだけお酒loveだったのでしょう…。

 現在は、お酒とは程よい距離感を保ちながら楽しんでおります。今、たまーーに飲むお酒もとても美味しく、友人らとの会話も楽しめます。しかし、一口飲むと、頭が回らなくなるのがよくわかる。考えられない。言葉が組み立てられない。もどかしい。身体が怠くなる。動くのが億劫。自分の手綱がゆるゆるになる。体力的な問題なのかなんなのか、全てがどうでもよくなっていくのがわかる(笑)会話の返しが、なんでもいいじゃん!になって行く(笑)

お酒って麻痺させるんだなぁ、、としみじみ。

 

昔はお酒を飲んだ後の世界の方が“本当の世界”じゃないかと、どこかで思っていたのよ。逃避しながら信じたかったんだろうねぇ。逃避だったのに苦しみながら飲んでたり。そうそう、当時は気がつかなかったけれど、あれは苦しみだったなぁ。苦しみながら飲んでいたなぁ…常に麻痺させておきたかったんだろうねぇ。もはや一歩手前だったのかもしれませんね。

 

現在は、酔いの楽しさもいいのだけれど、お酒を飲む事で生じる身体的、精神的なストレスの方をより強く感じるようになってきました。頭をシャキッっとさせていた方が心地がいいなと思う今日この頃。とは言え、お酒を嗜む数少ない機会は思いっきり楽しもう!とも思っている自分万歳(笑)

 

今日の書きたい事とはだいぶズレてしまった。

せめて写真を貼っておこう。

おしまいー!

 

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ふと過ぎるものたち

ブログを放置していた。

自分が動いていないと、世界が、進まないようだ。

それがよくわかった。

当たり前だ、、けど。

 

何かの瞬間、心にふと過ぎる、一瞬の言葉たちがある。

それが、今は面白い。

自分の思考が紡ぐ言葉たち。

iPhoneのメモ帳に残したりして。

ブログに書こうかと思うのだけど、ほんの一言、一つのセンテンスなので、

まさにつぶやきという感じで、、、それを載せるとしたらtwitterの方が良さげです。

長らくログインしていない私のアカウントは今もあるのだろうか…。なんて思うけれど面倒なので、まずはいいか。

 

 

同じようにふっと過ぎる、やりたいこと、思いついたこと、ほんの些細なことでも、なるべく拾うようにして、後回しにせずにすぐに動くようにしています。自分が自分に応えていく感じです。

そしたら、結構面白いことが起こることがわかりました。

時間を気にせずいたのにスッキリ時間通りに用事を済ませているとか、、前から気になっていたものに偶然出会えるとか。

 

フ・シ・ギ☆

そして、

ありがと!!