Simple Chic Yoga

私(azico)、夫、息子の3人暮らし。ヨガな日々を綴っています。

きらめく瞬間

4回目のヨガ指導者養成講座が先日行われました。その夜にブログを書き、下書き保存したはずがされてなかった…悲。

 

今日の朝方、夫婦で寝ているベッドに潜り込んできた息子。

隣の布団で寝ている息子が、寒い〜と言いながら入って来る事が最近よくあります。

こんなツルツルプニプニのほっぺ、撫でやすい小さな頭、寒い寒いと身を縮こませて、いつもより小さく感じる。

本当に可愛い。

 

こんな風に過ごせる時間がそう長くはないことを知っています。

弟を見てきたので、男の子の急激な変化を分かっているつもりではいます。

…います。

いるんだ…

なんて、考えていたら、、うる。ぽたり。。

 

・・・

 

思えば、

昔から息子の背中を見ながら日々過ごしてきた。

危なっかしくて、心配で、いつもハラハラしている私の気持ちはお構い無しに、行きたいところへダダーっと駆けていく息子の背中を、私はぐったりしながらいつも追っかけていた。

でも。

そんな息子の背中を通してふと前を見ると、

その場所から前へ続く道が、

無限の可能性へと続くような、

彼の心が、ぐんぐんと、前へ前へと進み続けるたびに、

新しい道がどんどん開き始めて、

永遠に続く、前へ向かって歩き続ける息子、

彼の信じる大きな大きな未来が、私にも見えてくる気がして、

彼自身の人生を、思うがままに、何にも縛られず、何にも囚われず、

自由に、生ききって欲しいと、

それを願って止まない、

自分をみて。

 

 

 

歩みを止めず、

どこまでも、歩け、

自分の足で、どこまでも

 

 

 

 

3年前。

後ろ姿の息子が真ん中にいるのは、私の、当たり前の世界だった。こんな構図の写真が私は大好きで、沢山の場所で良く撮りました。 

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 母親というのは、後ろから息子の背中を見守っていくのが仕事なのですね、きっと。

 

 

 

人生初のヘリコプター搭乗体験!!

この連休、生まれて初めてヘリコプターに乗りました!!

空を飛ぶって凄いんですね。

人間は飛べないもの。地べたを這いつくばって生きているもの。

そんな当たり前を難なく飛び越えて(まさに文字通り)大空を自由に飛んでしまうことができるなんて、、

残ったのは、圧倒的な感覚。

経験って凄いです。

頭の中で考えていたことを、いとも簡単に裏切りそれよりも更に、遥か上を飛び越えてしまう。

新しい経験を経たあとの高揚感が久しぶり過ぎて、身も心も満杯で。

子どもの頃はこんなことの連続だったのだろうか、、?

 

ジャンボ機に乗るのとは臨場感が違いました。ヘリは少々うるさかったけど楽しかった!

700m上空まで。5分間のフライト。

ちょっと免許を取りたくなってしまったよ!と思って費用を調べてみたら結構かかる事に驚く私!!

 

 

 

 操縦士さんの隣は息子。やや緊張。景色もそこそこに、息子は計器の方が気になっていた様子。

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マイソールスタイル

初めて、マイソールクラスの時間をめがけて、いつものスタジオへ向かいました。

アシュタンガヨガには、レッドスタイル、マイソールスタイル、という2種類の練習方法があります。(それぞれの練習をするクラスをレッドクラス、マイソールクラス、とも言います。)

レッドスタイルとは、リーダー、つまり指導者のリード(カウント)に合わせて皆で一斉にアシュタンガヨガのアーサナをとっていくスタイル。通常のヨガクラスのように、指導者の指示で全員が一堂に動いていく練習方法です。

一方のマイソールスタイルとは、アシュタンガヨガのアーサナを各自のペースで練習していく方法。指導者はその様子を見ながら、個人に合わせた指導をする、というもの。

アシュタンガヨガは最初から最後まで、ポーズの順番が決まっているので、1人でもグループでも、同じ練習になるのですが、それぞれのスタイルでフォーカスする部分があります。

レッドスタイルは、指導者のカウントで動くことによって、自分が逃げがちなポーズをサラッと進めないようにしっかり味あわせることができたり、逆に気持ちいいポーズへの執着などを手放すといった、個人の癖の矯正になるようです。マイソールスタイルは、自分の練習をより深めることができ、また個別にあった指導を受けることができる、一斉練習と各自練習、といったところでしょうか。

 

私はいわゆるレッドクラス、にしか今まで行ったことがなかったのですが…自分の感覚をもう少し細かく観たい。もっと深く知りたいと思うようになり。(←この部分、普段の家での練習ではポーンと抜けることがよくあります。)

今日は、先生とのマンツーマン!で、パーソナルレッスンのような贅沢な練習となりました。

凄い緊張の中、太陽礼拝から始まりました。

A.Bとやり終わった時点で先に進むのを止められ、たくさんのアドバイス、そして今の私に必要な練習方法を教えて頂きました。

指導者養成の勉強とともに、地道に練習も続けていこうと思います。

 

 

気がついたこと。

〜の為に〜をやる、ということなど一つもないこと。

〜の為などというその未来は永遠に来ない。今、やることを続けること。たぶん、その繰り返しなんだ。

「練習」と書いたけど、本番がある訳じゃない。

 

身体の細かな感覚を、まずは認識すること。

 

 

 

ヨガの懐

ヨガは満たすことができる。

何が足りないかも教えてくれる。

同時に、何も足りないものはない、という事も教えてくれる。

 

ヨガは余計な荷物を背負っていることを教えてくれる。

その荷物がどこに置いてあるかや、また、その荷物のおろし方をも教えてくれる。

同時に、何も引くべきものはない、という事も教えてくれる。

 

ヨガを通し様々な作業を同時に内側で続けているけれど、悩んだり迷ったり、投げ出したくなる事も時々あったりする。過去の日々が重くのしかかる事もある。

でも、それさえも、私には必要な出来事だったのだと、そんなふうに気がつかせてもらい、

たこの道に戻ってくる。

そこには、あたたかさが、ある、だけ。

 

 全てを抱えたままで、そのままでいいのだ。

 

内側で、同時に、ずーっとずーっと続けていくヨガ。

 

 

 

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ヨガ指導者養成講座(3)

昨日は3回目のヨガ指導者養成講座でした。

 

太陽礼拝ABのインストラクションテスト2回目。前回同様トップバッターでやらせていただきました。みなさんありがとうございます。満足のいく出来ではなかったものの、なんとか終わらせました。そしてまたも持ち時間をオーバーしてしまった!難しい。

 

今回の講座も腑に落ちることが多くありました。

フロウ(流れ)すること

偏ったら、そこで留まり続けないこと

バランス

エネルギー

 

講座の帰り、電車から降り改札を通って駅の出口に立った時、目に入ってきた光、人々の歩く光景、バスやタクシーのターミナル、駅前のビル、いつも見ているはずの光景がとてもクリアで。

くっきりと鮮やかな輪郭、でも優しい色合いに包まれている全てが、そのまま調和のとれた美しい世界なのだと、私はなんと美しい世界にいるのだと、そう感じながら一歩、足を踏み出したのでした。

 

 

 

カルマ・ヨーガ

 この数日間、自分のことを考えていた。いつも考えているのだけど、特に頭を使った。

ところで、指導者養成セッションでは、カルマ・ヨーガの実践について、教えてもらっている。

カルマ・ヨーガとは、「行為のヨーガ」と訳される。ヨガは、実はマットの上でアーサナをするだけではない。日常生活の中で起きる様々な出来事や物事を、ヨガの練習(修行?)の場と捉えて学びを深めていく方法があり、それがカルマ・ヨーガと呼ばれるものだ。

 この数ヶ月、そんな視点を持ちつつ、いったりきたりしておりましたが、自分の考え方や感じ方、自分のフィルター自体が、少しずつ少しずつはっきりとしてきている、気がする。

「あぁ、私ってこうやって世の中を捉えているのか…」

つくづく思った。これが、「私」の見ている世の中か、、と。

私の世界。私しか知らない世界。

 

 ・・・

 

ある事象が起こるとする。

その事象に対して、私は「A」と感じ、また違う人は「B」と感じる。

どちらかが間違っている訳ではなく、人によって感じ方や捉え方が違うだけのことなのに、私はこの当たり前に気がつけない時がある。

「なぜ、あなたは私と同じように「A」と感じないのか!」と。

…随分と勝手なものである。

このパターンをいつも繰り返す訳ではないけれど、ある特定の状況の時にこのプログラムが発動するようだ。

それは、「B」がネガティブな感情の発露(言葉)の場合だ。

そんな時の状況を分析すると、自分はいつの間にか、自分の「なぜあなたはBなのか⁈」という思いで一杯になり、相手に対して強いネガティブな感情が沸き起こる。驚愕、嫌悪、軽蔑、怒り、そして寂しさ、そんな感情が渦巻き、気がつかずにその渦の中に飲まれていき、、、私の気持ちは大混乱だ。

そして次に、あなたはなぜ!そう思う(感じた)のか?と強く問いただしたくなる。(そもそも感情になぜ?という問いは愚問ではないのか?)

同じくらいの勢いで自分にも問い詰める。自分の考え方が違うのか?果ては生き方が間違っているのか?とまでも考える。

でもって、正解って言われたいし(誰に?)あなたは間違っていると批難したい。自分が正しいと思いたい。(なぜどっちもありだよね〜とならないのか。どちらかしかないと感じてる?)

感情は間違いも正しいもなくて、心に浮かんできたもの。しょうがないじゃん。ふっと出てくるもの。

でも、私は自分の認めた感情しか受け入れないし、受け入れづらい感情の存在そのものを認めようとしないらしい。だから相手の感情も認めたくないのだろう。自分にも同じような感情があることに気がつきたくないから?かなと思う。 

(感情と思考は一緒なのだろうか?普段の思考から湧いてくるものが感情なのだろうか?)

 (「感情」という言葉がいつの間にか「考え」という言葉にすり替わっていることに気がついた。)

 

これが、私のいる世界だ。

 

(特に家族などの近い関係の人との間においてよくあるパターンで、友人や赤の他人との間でこういったことはあまり起こりません。)

 

・・・

 

なんか、面倒だねーって思ったそこのあなた!そう!私をやるのって面倒なのです(笑)私もそう思います(笑)しかしここまで言語化することができるようになってきたのは私にとっては凄いことで(笑)そしてこれをブログに書くことも。

これは私の過去とも関係があるでしょうし、それがここまでの仕組みを作ってきたのだろうとも思います。今いる、私の世界にはこの仕組みは必要ないはずなんですが、、、相変わらずあるタイミングで発動します。でもこの仕組みをもう少し細かく観て、分解していけば、きっとこのプログラム止めることができて、最終的には外すことができるであろうと、そう思っています。

 

冒頭のカルマ・ヨーガからは、だいぶ話がそれてしまったけれど、今はそんな事を日々勉強していまーす。

カルマ・ヨーガのことでまた書きたいことが出てきたので、また今度〜!

 

 

 

意識の反転

謙虚になること

謙虚な姿勢で日々を過ごすこと

自分が楽になる道。手放す道。

「意識の反転」という言葉が浮かんだ。

 

自分の何かがとても苦しく、とにかく理由が知りたい、どうなっているのか、なぜこんなに苦しいのか、、周りの何かモノや人に助けて欲しくて、ものすごい勢いで必死に手を伸ばし、強引に自分の方に引き寄せようとする。その力はとても強く、引き寄せてはなぜ自分が苦しいのかを、そのモノや人に問い続ける。しかし思うような答えをもらえないから、ならもういい!と手を離す。そしてまた手当たり次第、何かを掴もうと手を伸ばす。エンドレスで傲慢。

 

自分自身にも謙虚になること。自身に奢らないこと。自身を割り引かないこと。それ以上でもそれ以下でもない自身をそのまま受け取ること。

 

まず、私が求める「答え」というものは、自分の中にしかないこと。誰もそれに答えることはできないこと。

それに、「答え」はもうわかっている。っていうか、ある。信じれ〜!

 

周りの人もモノも一生懸命、こんなにも体現してくれながら私に教えてくれている。

それに気がつこうよ。

 

ごめんなさい。

いつもありがとうございます。