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Simple Chic Yoga

私(azico)、夫、子ども、出目金(デメー)の3人と1匹暮らし。ヨガな日々を綴っています。

新月からの流れ

昨日、久しぶりにヨガレッスンへ行ってきました。

先月は子どもの行事や春休み、今月からの新生活に気を取られており、そういえば!全然レッスンへ行けてなかった!と思い出したのでした。

昨日は新月。先生からの提案でアシュタンガヨガはお休みし、ハタヨガのレッスンに変更となりました。

久々のクラス参加でアシュタンガ、新月、きっと私は気合が入って手首あたりを痛めたりするのではないかと思っていたので(加減しているつもりでもついつい頑張ってしまうのです・・)少しホッとしました。

上半身はほぐれ、下半身はしっかりと動かし、久しぶりに自分と向き合う時間を過ごすことができました。そして先生にお会いできた事で、元気をいただき帰ることができました。

 

そのせいなのか夕方にご飯を作りながら、

「やっちゃおう!このままでは何もしないまま人生が終わってしまうな。」とふと思い、日頃からやろうと思っている細かいことで、できていないことも少しづつ手をつけていこうと決意し。

 

昨夜、夢の中には先生が出てきて、

「azicoさんは、なぜヨガ講師になりたいのですか?」

と聞かれ。

・・・答えられなかった自分。

朝。

「Oh・・」と頭を抱えながら起きたのでした。(気分は何故か英語だった)

 

今朝は家事を済ませ、ヨガマットを敷き太陽礼拝から始めましたが全然集中することができず、スタンディングの途中でやめて、無性に自転車に乗りたくなったので、ブラブラと乗って。

桜が散り緑が一層濃くなった桜並木の下を、風を感じながら無心に自転車を漕いでいました。

私は世を捨てて(?)ヨガをしたいのではないな。がっつり嵌るとそこまで極端に走りそうな自分もいるけれど。この日常の中でヨガを実践していくことを選びたい。

自分は1人で生きているのではなく、生かされているな、と思い。

もっと人と関わらなくては。関わりたい。と、感じ。

 しかし、首をもたげるのは昨日の夢。

 

お風呂に入りながら思った事。

あぁ、いつものこれか。

何かを始めようとする時、なぜか誰かの許可を必要と感じる。誰の許可?親?夫?子ども?誰でもない誰か?

何かを始めたからには、早く結果を出さなくてはと思う。何故?

 

動き出そうとする時に感じるのは、いつも得体の知れない恐怖と、とてつもないエネルギーを必要とする感じ。

結局一歩を踏み出せず、足踏み状態。

 

ただ、学びたいだけではだめなのだろうか?

純粋に必要としている、だけでいいではないか?

 

誰の、人生?

 

  

 

この世は愛なのだと思った今日

桜が綺麗に散った後、今はハナミズキの開花真っ盛りです。

春はいいですね。様々な花々が次から次へと私たちの目を楽しませてくれます。

 

今日、車で買い物から帰る途中、赤信号で停まっていた時のこと。信号待ちをしていて、ふと横を見ると自転車に親子が2人乗っていました。

お母さんがニコニコしながら子どもと戯れていて、お子さんもとても楽しげでコロコロと笑っている声が聞こえてくるかのよう。

お母さんもお子さんも2人そっくりな笑顔。その笑顔もとても素敵で。同じく周りで信号待ちをしていた年配の方も微笑ましくその様子を見ているようでした。

信号が青に変わり、その親子は目の前の横断歩道をニコニコしながら渡って行ったのですが、その瞬間、

「そうか、愛なんだ、愛なんだなぁ。」

と思わず溢れた言葉。(あと、ちょっぴり涙が出た)

私が買い物に行ったのも、家族に美味しいものを食べさせるためで。

後ろのトラックの運転手さんも、隣の商用車に乗っているサラリーマンも、

母が笑っているのも、息子がいつもクイズを出して〜と言うのも、夫が薀蓄垂れるのも笑、デメーがぷかぷか泳いでいるのも、みんなみーんなそう。

私たちの行動の始まりは、人のため、自分のために動き出すことしかない。

それを仮に愛と呼ぶならば、愛を原動力に1つの動きが始まるんだなぁと。

 そう思うと、日常の当たり前に行なっている行動そのものはかけがえのない素晴らしいこと。

表に現れることは違うし、やっていることも人それぞれ違うけれど、ベクトルは一緒なのかも? 

誰かが誰かへ愛を向けて、自分へ愛を向けて、たくさんの人へ愛を向けて、花へ、草木へ、動物へ、自然へ、愛を向けて、、、

 

私は、私なんかが愛と云われるものを誰かに渡したり、ましてや“与える”なんてことはおこがましくて出来ないと思っていたし(そもそも与える分の愛も私には無いと思っていて)。

そして愛を受け取ることもできないと思っていて、そんな価値のある人間ではないと、、何処かで思っていたことに今気がついて。

 

息子がニコッと笑いかけてくる。私も息子にニコッと笑いかける。

今日は息子リクエストのキーマカレーを作った。美味しいと食べてくれた。嬉しかった。

私も愛をたくさん受け取っているし、渡している。

そして何より一方通行じゃなくて、ぐるぐると循環している!

誰かが言っていた、

「愛は、いくら与えても減らないんだよ。与えれば与えるほど満たされていくんだよ。」 

その言葉の意味が少し分かった気がしました。

 

車の中でのBGMは、Marvin GayeのSexual Healingでした。

彼の人生を思うと、人の生死や愛について考えてしまいます。

  

とてもメロウなこの曲を最近よく聴いています。

セクシーな歌詞が、むしろ人間らしさ溢れていて素敵ださえと思う(笑)根源は大事。

Marvin Gaye - Sexual Healing - Extended Version - YouTube

 

 

 

 

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ヘナ染めしながらぼーっと。

花吹雪の

ある日の午前中を思い出していました。

 

今年の桜はあっという間に終わってしまった…。

 

うちの父は、桜が咲くたびに、

あぁ、あと何回桜を見られるんだろうなぁ…と、毎年柄にもなくしみじみして、その度、母と私は吹き出していたのを思い出します。

私も今年、桜を見ながら、あぁ、あと何回桜を見られるんだろうなぁと心の中で父の真似をして。

 

七五三で千歳飴を食べた息子と私は1000歳まで生きて仙人になると決めているので、あと九百数十回、桜の散るのを見られるのでしょう。うふふ。

 

 

 

共に生きる

昨日は入学式。桜が満開に咲く中、ランドセルを背負い元気に歩く息子と、親子3人行ってきました。

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これから沢山のことを学び、経験し、身体も心も大人に近づいていくのかぁ、、としみじみでした。と同時に自分という存在とは別にして他の様々なことで評価される、されてしまう世界に一歩足を踏み入れたんだなと少し複雑な気持ちでもありました。

ただそこで、切磋琢磨し色々経験するのも決して悪くはないと思います。自分を見失ってまで頑張って欲しくはないけれど、その様々な体験の中で自分で自分という人間のどこを見出すのか・・親としてとても楽しみであるし応援もするし、また同じ人間同士として負けてられないな、という前向きな気持ちになります。

私自身以前から何となく感じていたこと、それは日々の出来事が自分を知るための1つのツールなのだな、ということ。自分という在り方、在り様を観ることのできる鏡のようなものが、そこかしこにある。そこから自分を知り、そして学び続けていくのだと。

先週のヴィンヤサヨガTTにおいて、先生からのお話の中で自分の何となくのその感覚が確信に変わりました。

 

 

通学路の途中まで迎えに行ったのですが、お友達と帰ってくる息子はとても大人びた雰囲気でした。

自分の人生を歩み始めた息子。

精一杯、共に生きよう。

 

 

 

【映画】Mommy/マミー

以前、映画、たかが世界の終わりを映画館で観てからずっと気になっていたグザヴィエ・ドラン監督の作品、『Mommy/マミー』をDVDで観ました。

 

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【以下、あらすじ】

とある世界のカナダでは、2015年の連邦選挙で新政権が成立。2ヶ月後、内閣はS18法案を可決する。公共医療政策の改正が目的である。中でも特に議論を呼んだのは、S-14法案だった。発達障がい児の親が、経済的困窮や、身体的、精神的な危機に陥った場合は、法的手続きを経ずに養育を放棄し、施設に入院させる権利を保障したスキャンダラスな法律である。ダイアン・デュプレの運命は、この法律により、大きく左右されることになる。

(公式サイトより)

 

観るのは精神的にしんどいかなぁと思いながら借りましたが、意外とそうでもなかったです。感情的な高ぶりなど少しも感じず終始客観的というか、薄いベールを1枚通して画面を観ているような感じでぼーっと観てしまいました。しかし、ずーっとハラハラしっぱなしで、とても疲れました。幼い頃からの環境に似ているなと思う部分も多くあったように感じるのでちょっと麻痺気味なのかもしれません。

弟も同じこと言ってたな・・とか。

こんな状態、しょっちゅうだったな・・とか。

弟はどんな気持ちだったのだろう、母はとても辛かったのだろう、と思いも馳せましたが、そう思うことも今は正直苦しい。

そんなことしか思い浮かばず、なかなか感想というものが出てきません汗。

ただ、映像が1:1のアスペクト比で構成された映画で、(私個人的にはそのような撮り方、画面編集の仕方もありなのか、と驚きです。)映像に映る人物に嫌が応にも集中してしまうので心情がとてもよくわかる感じでした。作品に出てくる母と子のどうしようもない切なさや一生懸命さが本当に伝わってくるような、でも漂う緊張感と窮屈さ。

 

以前の記事でも書きましたが、ドラン監督作品は音楽の使い方、作中の挿入曲のセレクトに定評のある方なのですが、この映画の音楽もまた変わらず素敵で私世代には懐かしい曲もありました。

この映画をいわゆる感動とともに観られる日が、いつか来るのか、来ないのか、今の私にはよくわからないですが・・・

過去に生きる私、というものを分かってはいますが改めて再認識。←今、ブログを書いてもまた再認識。 

 

グザヴィエ・ドラン監督 映画『Mommy/マミー』 オフィシャルサイト

 

 

 

 

 

ランチョンマット 完成!

入学準備、ようやく終わりが見えてきました。

nani IRO Textile シリーズ『Wonder world』より ジョイf:id:azicoyoga:20170403150944j:image

この春休みはミシンを触る日が続いていました。

先月のお手提げカバンに続き、内履き入れ×2、ナップサック(←これは予定外のもの)、体操着入れ、給食袋、小袋、ランチョンマット×3、を作りました。(袋物には名前を付けてしまったので、写真がありません。)

 

写真のランチョンマットに使用した布は水彩画家 伊藤尚美さんのアートワークをテキスタイルに仕上げたブランド、nani IRO Textile のもの。息子が生まれる前に、赤ちゃん用品を色々と購入していた頃に初めて知ったブランドです。淡い水彩の水玉柄や花柄がとても可愛らしい布で、ガーゼ生地で作った洋服や小物は息子の赤ちゃん時代は勿論、幼稚園に入ってからもとても活躍しました。洗えば洗うほどふわふわと柔らかくなって気持ちがいいのです。

 こちらのnani IRO Textile シリーズは、淡い色柄だけではなく、この写真のようなビビットな色合いや幾何学模様のデザインなどもあって見ていて飽きませんし、作る予定がなくてもついつい欲しくなってしまいます。

 この生地は息子の帽子を作る予定で数年前に購入したものだったのですが、未だ形になることもなく文字通り箪笥の肥やしになっていたので、今回こういった形で息子用品を作ることができて本当に嬉しいなぁと思います。ランチョンマットに白ベースの生地を使うことは若干のためらいもありましたが、形にしていくこと、そして使っていくことが何より大切なことだと感じています。落ちない汚れが付いてしまったらまた新しい布を下ろしていこう、そうも考えています。古い布は何かに再利用してもいいかもしれません。

 

布端の処理は額縁仕立てで仕上げました。三巻き押さえを使った処理は私にはまだ難しく、また二枚仕立ても考えたのですが、洗濯の時に早く乾いて欲しかったことと、布の収縮率の違いで歪みが出てくるのが嫌だったので、結局一枚仕立てで仕上げました。

縦40センチ 横50センチのランチョンマットを3枚。

楽しい給食時間を過ごしてほしいなと思います。 

 

真ん中、おにぎり柄は手芸屋さんに足りない副資材を買いに行った際にランチョンマットにはもってこい!と、買ってしまった。f:id:azicoyoga:20170403155830j:image

 

これからマスクも作る予定です。給食が始まるまでには仕上げないと。

このままの勢いで、自分の服も作りたいところです。

 

 

伊藤尚美さんの生地はこちらから購入できます。無料パターンもあり。→nani IRO ONLINE STORE

2017年の新作も出たばかりです♪ 見ているとやっぱり欲しくなる♡

 

 

 

 

お花見サイクリング

4月に入り、最初の日曜日の昨日、家族3人でサイクリングに行ってきました。

 

 休憩中の風景。ロード前半はこんな田園風景が続いていく。f:id:azicoyoga:20170403093254j:image

 最近の土日は、家族でサイクリングに行っています。

先日は桜の開花宣言もあったので、サイクリングロード沿いに続く桜並木の下でお弁当でも食べようとおにぎりとオカズも作ったのですが・・・。

まだまだ蕾の段階でチラチラと桜が咲いている程度。三分咲きにもほど遠く笑。満開とは言わないまでも、もう少し咲いているかなと思ったんだけど。残念。

しかし、自転車に乗ってどんどんと進んでいくのはとても楽しいものです。

そんなこんなで進んで行き、気がつけばサイクリングロードを少し外れてしまったので、また戻る最中のこと。

信号待ちをしていた時にふと横を見ると、畑作業をしているおばちゃんが1人。自分の足元を見ると、採ったばかりの菜の花やキャベツといった野菜が置いてありました。

「鉄腕某というテレビ番組の某食堂だったら、こんな時貰うんだろうなぁ…」なんて考えていたら、おばちゃんにその思いを気づかれてしまったようで(!)、

「もしよかったら持って行きなぁ〜」と声を掛けられ。驚!

おばちゃんは、野菜をこれ以上畑に置いておいても鳥に食べられてしまうので採っていたらしいのです。

「キャベツもどうせ買うんでしょ〜笑!どうせって言っちゃった笑」

そうです、どうせ買います笑。

今日は、なぜかいつもは使わないリュックを担いでいたのでありがたく、キャベツ、菜の花、青梗菜の葉の部分を頂きました。

青梗菜の葉の部分は卵とじにすると甘くて美味しいとのこと。

お昼過ぎに桜の花が可憐に咲いているまだ若い桜の木を見つけたので、その木の下でお弁当を食べました。地元のリトルリーグでしょうか、小さな野球選手たちが元気に練習をしていて、そんな風景を見ながらの楽しいお昼でした。

 

 

どら焼きでチャージ中。f:id:azicoyoga:20170403093403j:image

息子も自転車で乗れる距離がどんどん伸びてきており、昨日は結局往復10キロちょっとを走破することができました。

帰りはさすがにバテたのか、「チャージが足りない〜!ゼロパーセント〜」とぐったりの様子で、途中のコンビニで大きなどら焼きを買い桜の木の下のベンチでパクパクと食べて、無事に家に帰りつくことができました。

 

途中で寄った神社は、こんなに桜が咲いていました!f:id:azicoyoga:20170403093233j:image

 

夕ご飯には、頂いた野菜を卵とじやお味噌汁にして、いただきました。

キャベツのお味噌汁は本当に甘く、青梗菜の葉の卵とじも本当に美味しかった〜!

おばちゃん、本当にありがとう!美味しかったです!

昨日は文字通り、身も心も春を堪能した1日でした。

 

 

 春休みも中盤が過ぎ、来週には入学式です。

息子と過ごす長い休みは、いつもいつもあっという間に過ぎて行ってしまいます。