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Simple Chic Yoga

私(azico)、夫、子ども、出目金(デメー)の3人と1匹暮らし。ヨガな日々を綴っています。

夫婦時間。

最近気がつけば、夫婦2人で外食に行く機会がよくあります。

今日も午前中は仕事が休みだった夫と、お気に入りのはちみつを駅前のお店やデパートへ探しに出かけた際、お昼は久しぶりに海鮮が食べたいという話になり、近くのモールへ海鮮丼を食べに行きました。

そんな時の最近の2人の話題はもっぱら「シミュレーション仮説」と「量子力学」の話。

私はうっっっすら表面的にしか理解できていないのですが、とても興味深く面白い&ヨガ哲学に繋がる部分があるんじゃない?となんとなく感じていて。

彼はバリバリの理系人間、私は文系人間で、議論が白熱するというより私が思う疑問を夫にぶつけるという会話?手法(笑)・・なので、夫は私と話していて楽しいのだろうか?と少し思う時もあります(笑)

 ちなみに家族でハマっているのはドイツのブライトザマー社のクリーミーハニー。ドイツでははちみつの品質基準を定めた厳しい法律があるようで、はちみつといえば非加熱が当たり前だとか。もちろんこちらも非加熱の生はちみつなので、アーユルヴェーダの観点からも良さそう思い。お味もクリーミーでとっても濃厚で美味しい♪ お値段もお手頃なのです!

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アマゾンで購入するのが楽なのですが今回はすぐに欲しかったので探し周り、購入することができました。すぐに食べてしまうので2個買いしてしまいました〜。

 

瞑想

昨夜、お風呂から上がった後、息子が、

「30秒かぞえて!」

と言うので、パジャマを着るのに何秒で着られるか挑戦するのかと思い数え始めたら、

パンツ一丁のまま胡座で目を瞑り始めました。

いつになったら着替え始めるんだろう?とワクワク数えていたけれど、全く動く気配はなく。

あれ?着替えない!ギリギリまで待ってラスト10秒位で着替えるのかな?なんて思いながら見ていたら、結局、30秒間そのままの姿勢で終わりました。

息子曰く、瞑想していたとのこと。

色々かんがえちゃうんだよねぇ。

と悩ましげに話しておりました。

とりあえず、パンツ一丁は本場っぽいけど風邪引くからパジャマは着てからの方がいいと思うよ、とツッコむ、煩悩全開な母親でした。

 

 

もうすでにやっている。

私は今まで、「やりたいこと」と「我慢すること」を捻って捉えていたのではないのかと、数日前にふと気がつきました。

全くの逆?に定義していたのです!!!なんというmistake (驚)!!!

です!!!!

 

例えば、日常生活の細かいことで言えば、

リビングの掃除機かけ

トイレの掃除

お風呂の掃除

キッチンの掃除 etc.

(掃除しかでてこない 笑)

 

上に挙げたものは「やりたくないのにやらなきゃいけない」と、日々我慢しながら(と思いながら)やっていたことの一例です。

 

例えば、掃除をしない、若しくは掃除をすることを何らかの理由で制限され出来なくなった場合、当たり前ですがリビングは埃だらけ、トイレも汚くなって、お風呂はカビだらけで、キッチンも汚れて油はこびりつき、毎回の料理作りさえ面倒になるであろうことは目に見えております。

結果、私は、毎日を清潔で快適に過ごしたいと思っているのにも関わらず、日々を嫌々過ごす羽目になります。埃が落ちているのに掃除をすることが出来ない。キッチンではコンロ周りが油でギトギトなのにサッと拭くことも出来ない。ムズムズしてしまいますね。この状態こそが、本当に我慢を強いられている状態です。

 つまり上記に挙げた「我慢しながらやっていること」は我慢してやることではないのです。というよりむしろ、私のやりたいことなのです。もっと言えば、やりたいことでなくてはおかしいのです。なぜなら、私は毎日を清潔で快適に過ごしたい、と思っているからです。つまりは、掃除をすることは自分のやりたいことなのです。

 

そんな風に気がついてから、上記のことは私にとって、我慢してやることではなく、すんなりと私のやりたいことに変わってしまいました。

今まで、何となく見て見ぬ振りをしていた汚れはいつの間にか磨いているし、 目に付いた埃は何も考えずゴミ箱へポイと捨てています。(そんなこと、何を今更と思う方もおられるかもしれませんが、自他共に認めるズボラーズな私には目から鱗な気づきであります。)

 

見渡せば、全てがそうなのです。

自分の周りのことは、全てがそうなのです。

もうすでに、自分はやりたいことをやっているのです。

我慢しながら無理無理やっていることなど、何一つないのです。

 

 

ヨガをするのも、そうなのです。

自分の求める生き方をするために、私はヨガをするのです。

歯を食いしばって耐える時期もあるのかもしれません。悩み、苦しむ時期もあるのかもしれません。

でも、それも私のやりたいことなのです。

 

そして、やりたいことに向かう時、必要以上に構えることはないし、恐れることもないのです。

「やりたいこと」をしたくても出来ないと、我慢しなくていいのです。

誰も私の「やりたいこと」を制限する人はいません。

私は自分で自分に制限をかけて、「私、こんなに我慢してるんだよ」とポーズをとる必要もありません。(誰に?何の為に?)

「我慢すること」だけをインストールされたまま動いていたようです。

「我慢する」ことの方が楽だと思ったり、美徳と思ったり思わされたり生きてきた私でした。 

自分が思うほどこの世界は複雑ではなく、私が思うよりずっとこの世界はシンプルなのですね。

 

 

そう思ったら、なんだかすっきりした。いぇい。

 

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ありがとう。

今日は、母の日。(ちょっと忘れていた)

そして今日は、自分の嫌な部分を素で表に出してしまい、自分で自分に驚いた日。

 

私の奥底にあったのは分かっていたけど、臭いものには蓋で、普段は見ない振りをしており。

しかし!その存在は割と常に感じていて、自分がうまくいってないと感じる時、余裕のない時などグワッと出てくるな、とは思っていました。その度、あぁ、こんな事を思っちゃいけない、そんな人間にはなりたくないし、ならない。と当たり前のように決めており、その感情が出てくることが、いつも辛かったようです。実は。

というのも、その感情が出る度、自分は嫌な人間だなぁ、ダメなヤツだなぁ、はぁ。やっぱりダメなんだ、私はあんな風な人(周りのまたは遠くの素敵に見える人)にはなれないんだ、と。ダメ出しをするのですから。

 

今日、見えないエアーポケットがあったようでうっかり!奈落まで一瞬落ちたようです。

うっかり!という表現の通り、普段は落ちないように近づかず、また近づいても縁ギリギリを飛行するような、そんな感覚でいたのですね〜。疲れますね。

 

今日は、突発的に落ちてしまったので(笑)

いつものように蓋をする前に、なんでそう思うんだろうなぁ…としみじみ考えてしまいました。

なぜ?どうして?

客観的に見つめていくと、普段であれば感じるぐるぐる回るような焦燥感や罪悪感や落ち込みなどを感じることはなく、気がつくとまるで自分という人間を研究している白衣を着た科学者になった気分で、自分の内を見つめていました。

あ、私はこんな人間なのね、思ってたよりどうしようもなかった(笑)

と、認められました。というか認めました。

 

私が認めたのだから、そうなのだ。

それは真実だ。

そういう部分もあるんだな。了解したぞ。

 

そう思ってお終いにしました。

 

しかしそれとは別に、大いに反省したのも事実で。

夫には申し訳ないことをしました。そして気づかせてくれた夫に感謝でした。逃げずに向き合ってくれてありがとう。

 

そんなひと時が終わり、昔にどこかの公園で置き忘れてしまって以来買っていなかった息子のサッカーボールを買いに行き。

その後夫に「母の日だし花欲しくない?」と素敵な鉢植えを夫と息子からプレゼントしてもらいました。

 

夕食中、息子に「僕はママに迷惑かけてる?」 と聞かれました。

迷惑なんてかけてないこと。そんな風には思わないこと。

息子がとても大事で大好きなこと。

息子のおかげでママはママになれたこと。

を伝えました。

 

ママは毎日あなたのお蔭で楽しく幸せに生きているのだぞ。

いつもいつもありがとうなのです。

今日は、私の方がたくさんありがとうを言った日でした。

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オリーブの木を植える

昨日、ようやくようやくオリーブの苗木を家の敷地に地植えをしました!!

家を建ててもう1年半になりますが、実はずっと完成していない部分がありました。それは、玄関ホールから見える場所に何かシンボルツリー(でなくてもいいのですが)を植えること。

我が家は玄関ドアを開けて中へ入ると、そこから一直線上に見える向かい側の壁に床から天井までの縦長の窓があり、外が見渡せるようになっています。家の中からも庭木が見ることができる、という設計で、その窓のそばに何かグリーンを植えることは大前提。しかしこの1年半、そこから見える風景は、お隣さん家の庭の木。たまにお隣さんの姿もチラリと。。

外構計画を考えていた時点で、苗木は自分達で買って植樹をする予定でしたので、外構業者さんにはその部分はあえて頼まず・・、しかしいつでも植えられるように穴だけは開けてもらっておりましたので、そのぽっかりとした空間を窓から見る度に、早く木を植えてそのグリーンに癒されたい&目隠しをしたい。お隣さんにも申し訳ない。ずっとそう思いながら、何故か後回し後回し。何を植えようか考えたり忘れたり、月日は過ぎ去っていったのでした。

それが、先日の新月から遡ること数日前、オリーブを植えよう!と急に思い立ち。

昨日植えて、今日はホームセンターで足りない分の土を購入してきて完成しました。 実は、家を建てた時オリーブの苗木をもらい鉢植えにしてずっと育てていたものがありました。ずっと玄関の脇に置いてあったのですが、地植えにした方が何となく良さそうと感じていたのと、もういいんじゃない?という思いがあり。というのも、玄関先にオリーブの鉢植えを置いてあるお家を見かけた時にとても素敵だなぁ〜と思ったことがあり、私もあんな風に素敵な玄関にしてみたいなぁという憧れがあったのですが、どうやら私はそうは思ってもなかなか動かないようで、また頑張ってみてもコレジャナイ感があるというか(笑)、そんなこんなで色々諦めがついたのでしょうね。

 

ホームセンターでは一緒にプチトマトとパセリの苗木を買ってきたので、今年はプチ菜園も楽しみたいと思います♪

 

 

新月からの流れ

昨日、久しぶりにヨガレッスンへ行ってきました。

先月は子どもの行事や春休み、今月からの新生活に気を取られており、そういえば!全然レッスンへ行けてなかった!と思い出したのでした。

昨日は新月。先生からの提案でアシュタンガヨガはお休みし、ハタヨガのレッスンに変更となりました。

久々のクラス参加でアシュタンガ、新月、きっと私は気合が入って手首あたりを痛めたりするのではないかと思っていたので(加減しているつもりでもついつい頑張ってしまうのです・・)少しホッとしました。

上半身はほぐれ、下半身はしっかりと動かし、久しぶりに自分と向き合う時間を過ごすことができました。そして先生にお会いできた事で、元気をいただき帰ることができました。

 

そのせいなのか夕方にご飯を作りながら、

「やっちゃおう!このままでは何もしないまま人生が終わってしまうな。」とふと思い、日頃からやろうと思っている細かいことで、できていないことも少しづつ手をつけていこうと決意し。

 

昨夜、夢の中には先生が出てきて、

「azicoさんは、なぜヨガ講師になりたいのですか?」

と聞かれ。

・・・答えられなかった自分。

朝。

「Oh・・」と頭を抱えながら起きたのでした。(気分は何故か英語だった)

 

今朝は家事を済ませ、ヨガマットを敷き太陽礼拝から始めましたが全然集中することができず、スタンディングの途中でやめて、無性に自転車に乗りたくなったので、ブラブラと乗って。

桜が散り緑が一層濃くなった桜並木の下を、風を感じながら無心に自転車を漕いでいました。

私は世を捨てて(?)ヨガをしたいのではないな。がっつり嵌るとそこまで極端に走りそうな自分もいるけれど。この日常の中でヨガを実践していくことを選びたい。

自分は1人で生きているのではなく、生かされているな、と思い。

もっと人と関わらなくては。関わりたい。と、感じ。

 しかし、首をもたげるのは昨日の夢。

 

お風呂に入りながら思った事。

あぁ、いつものこれか。

何かを始めようとする時、なぜか誰かの許可を必要と感じる。誰の許可?親?夫?子ども?誰でもない誰か?

何かを始めたからには、早く結果を出さなくてはと思う。何故?

 

動き出そうとする時に感じるのは、いつも得体の知れない恐怖と、とてつもないエネルギーを必要とする感じ。

結局一歩を踏み出せず、足踏み状態。

 

ただ、学びたいだけではだめなのだろうか?

純粋に必要としている、だけでいいではないか?

 

誰の、人生?

 

  

 

この世は愛なのだと思った今日

桜が綺麗に散った後、今はハナミズキの開花真っ盛りです。

春はいいですね。様々な花々が次から次へと私たちの目を楽しませてくれます。

 

今日、車で買い物から帰る途中、赤信号で停まっていた時のこと。信号待ちをしていて、ふと横を見ると自転車に親子が2人乗っていました。

お母さんがニコニコしながら子どもと戯れていて、お子さんもとても楽しげでコロコロと笑っている声が聞こえてくるかのよう。

お母さんもお子さんも2人そっくりな笑顔。その笑顔もとても素敵で。同じく周りで信号待ちをしていた年配の方も微笑ましくその様子を見ているようでした。

信号が青に変わり、その親子は目の前の横断歩道をニコニコしながら渡って行ったのですが、その瞬間、

「そうか、愛なんだ、愛なんだなぁ。」

と思わず溢れた言葉。(あと、ちょっぴり涙が出た)

私が買い物に行ったのも、家族に美味しいものを食べさせるためで。

後ろのトラックの運転手さんも、隣の商用車に乗っているサラリーマンも、

母が笑っているのも、息子がいつもクイズを出して〜と言うのも、夫が薀蓄垂れるのも笑、デメーがぷかぷか泳いでいるのも、みんなみーんなそう。

私たちの行動の始まりは、人のため、自分のために動き出すことしかない。

それを仮に愛と呼ぶならば、愛を原動力に1つの動きが始まるんだなぁと。

 そう思うと、日常の当たり前に行なっている行動そのものはかけがえのない素晴らしいこと。

表に現れることは違うし、やっていることも人それぞれ違うけれど、ベクトルは一緒なのかも? 

誰かが誰かへ愛を向けて、自分へ愛を向けて、たくさんの人へ愛を向けて、花へ、草木へ、動物へ、自然へ、愛を向けて、、、

 

私は、私なんかが愛と云われるものを誰かに渡したり、ましてや“与える”なんてことはおこがましくて出来ないと思っていたし(そもそも与える分の愛も私には無いと思っていて)。

そして愛を受け取ることもできないと思っていて、そんな価値のある人間ではないと、、何処かで思っていたことに今気がついて。

 

息子がニコッと笑いかけてくる。私も息子にニコッと笑いかける。

今日は息子リクエストのキーマカレーを作った。美味しいと食べてくれた。嬉しかった。

私も愛をたくさん受け取っているし、渡している。

そして何より一方通行じゃなくて、ぐるぐると循環している!

誰かが言っていた、

「愛は、いくら与えても減らないんだよ。与えれば与えるほど満たされていくんだよ。」 

その言葉の意味が少し分かった気がしました。

 

車の中でのBGMは、Marvin GayeのSexual Healingでした。

彼の人生を思うと、人の生死や愛について考えてしまいます。

  

とてもメロウなこの曲を最近よく聴いています。

セクシーな歌詞が、むしろ人間らしさ溢れていて素敵ださえと思う(笑)根源は大事。

Marvin Gaye - Sexual Healing - Extended Version - YouTube