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Simple Chic Yoga

私(azico)、夫、子ども、出目金(デメー)の3人と1匹暮らし。ヨガな日々を綴っています。

思い出のティラミス

食べもの

先日のバレンタインデーの1日後(つまりは15日)に、息子とティラミスを作りました。

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まだ結婚する前のバレンタインデーに、当時付き合っていた夫に初めて作った時、とても喜んでくれて、それからはバレンタインデーにティラミスを作っています。(あ、でもそんなに何回も作っていないな・・・嘘です。笑)

ティラミスは作るのは簡単なんだけど、ちょっと豪華に見える優れものレシピです。材料もそんなに多くありません。

息子は初めてのティラミス作りと美味しさにすっかり味をしめてしまいました。

 

とりあえずまた来週あたりに作ろうかな(笑)

 

 

夢?本当?

子育て

ここのところ重い話が続くこのブログですが、今日は息子の話。

 

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 昨日、息子と二人で湯船に浸かっていた時のこと。

 

母「はぁぁぁぁ・・・気持ちいい〜♪」

息「気持ちいいの?いいの?ほんとう?」

母「うん、気持ちいいよ〜」

・・・

息「今まで学んだこと、幼稚園のこととか、夢なのかなぁ、本当なのかなぁ」

母(え、それどういうこと?!と思いつつ)「息子はどうだと思う?」

息「夢だと思う!!」

母「なんで夢だと思うの?」

息「わかんない〜」

母(えええぇぇーー!)

 

 

夢ねえ、、夢かもねぇ。過去は過ぎ去っていく一方で、手に取って見れる訳でもなく・・頭の中の記憶だけで・・その記憶もいつの間にか変わっていたりすることもあってさ。あやふやだよ。

何気なく発する息子の言葉に、いつも何かしらの意味を探してしまうさもしい母です(笑)。

 

 

 

【映画】たかが世界の終わり

映画

先日、映画を観てきました。

本当は『マリアンヌ』を観るつもりで映画館の上映時間を調べていたら、同じく上映中のこちらのタイトルが気になり、調べてみたらこの作品にも私の大好きなフランス人女優、マリオン・コティヤールが出演していて、(『マリアンヌ』にもブラピの奥さん役で出演)さらに、いつも気になるフランス人俳優、ヴァンサン・カッセルも出演しているとのことで、こちらの作品を観ることにしました。

映画のあらすじ。(以下、若干ネタバレがあるので、観る予定の人は読まない方がいいかもです。)

 

 

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死期のせまる主人公がそのことを家族に伝える為に12年ぶりに家に帰る。実家には、久しぶりに会えるので嬉しくて仕方のない母、自分が幼い頃に家を出た主人公の事はほとんど覚えていないのだが、とても楽しみに待っている妹、素っ気なく迎える兄。そして初対面となる兄嫁。

主人公は、ほとんどセリフがない。家族の、相手を見ているようで見ていないマシンガン会話が次から次へと続く。主人公の話を聞く人は誰もおらず、マリオン・コティヤール演じる兄嫁が唯一、主人公を見て、感じて、対話をしてくれる人間。

主人公が家を出て行った訳、それからは葉書を寄越すだけで一度も帰郷しない訳。

これは、、、家を出て行かざるを得ないかなぁと。。家族の噛み合わない言葉のやりとりは観ているこっちが窒息しそう。

 

家族みんなが、それぞれ愛を欲しがっているんだけれど、それを受け止める人が誰もいない。そもそも、その愛を与える人がいない。

愛の階層が違う、とでもいえばいいのだろうか。愛しているけど、通わない。

愛の与え方、受け取り方、そのキャッチャーがぴったり合えばいいのだろうけど、人によってそれは違う。それは家族であろうが同じことで。むしろ家族はその違いがとても際立つし、孤独を深めたり、罪悪感に苛まれたりと、しんどい。でも、多分、誰が悪い訳でもない。

 

主人公はこの家族の前では透明な存在で、主人公へ向けて語られる話や要求は、まるで鏡を相手に話している独り言や、話している本人へのブーメランのような言葉で。

最後の最後、兄が今までの思いをぶつけるのですが…その後の母親の一言が、、 なんだろう、私には耐えられなかった。

主人公の諦め、拒否感、絶望感、孤独感が手に取るようにわかり、切なかったです。

 家の喧騒の中、現実から乖離し自分の世界に入り孤独を深めていく主人公が、家にいた頃の自分にそっくりでした。 

 

娯楽作品ではなく、ほぼ台詞だけで舞台のような作品(戯曲『まさに世界の終わり』が原作)。あっという間の99分でした。人によっては眠くなりそうな作品らしいのですが(退屈だったというレビューが割とあった。)私は、開いていた胸がいつの間にか閉じてなおかつ腕組みをして(完全防御姿勢‼︎)、コーヒーを片手にやっとこリラックスして観た、そんな深刻に共感してしまう作品でした。

 

 

Home is where it Hurts - Juste la fin du monde 

 

 グザヴィエ・ドランというカナダの有名な監督さんの注目作品らしいです。年齢もまだ27歳という若さ。で、こんな繊細な映画を作るなんて。どんな人生を歩んできたのか気になる。

音楽の使い方がとても印象的でした。どうやらそういう使い方が得意な人らしい。オープニング挿入歌(上記)ですでに泣きそうになってしまいましたー。最近考えていること、ダイレクトにえぐられた。

そしてエンドロールの曲も素晴らしくて。調べたらMobyでした。あまり聴いたことがなかったけれど、現在youtubeでガシガシ聴いています。

 


 

 

現在のこと

日常

これから書くことは、実は書こうかどうしようか、とても悩んだことです。
というのも、現在も進行している問題(と、”問題”と捉えること自体が私の内の問題かもしれない)で、そのためにここに書き綴ることの難しさを感じる事と、このブログを読んで下さる方というのはリアルな繋がりの人や私の家族もいて、私の本当の胸の内、というものを出すことの恐れもあり。

でも無いことにはできないし、このことを抱えての私だし、ということでただの表明のような感じで、後々の自分が今を振り返る時の覚え書きの意味も持たせたいので、なので、不躾ではありますが、だからどうした、ぐらいのスタンスでいてもらえると助かります。

 

私には弟がいます。

弟は自閉症スペクトラムという障害を抱えており、加えて軽度の知的障害も伴っています。弟との年の差は3歳。物心のつく頃から、私の中で弟はとても大きな存在でした。

私の幼い頃の記憶を辿っていくと、弟と穏やかに遊んだり何かをした、という記憶があまりありません。楽しく過ごしたことはそれなりにあるのですが、嫌な思い出の方が大きいです。

自閉症特有のこだわりからくるパニックを起こす弟を必死でなだめる母親のそばで、私はいつもウロウロと心配ばかりしていました。

なんで、私の弟はこんなに暴れるんだろう?

一緒に遊んでも、何かあるたびに遊びが中断してしまう。

弟にわかってもらおうにも、いくら言ってもきいてくれない。大声を出す。物を壊される。

そして、私がそのことを母親に訴えても私のことには取り合ってくれない。

仕方ないでしょ。弟ちゃんはそうなの。我慢してね。

という塩梅で。

いつも弟に気を使う。でも私も子どもだったし、いつもいつも気を使うばかりはできず。そして気を使わなければ何かと衝突を繰り返す。

いつも家の中は騒々しく、私の安心できる場所は、あまりありませんでした。

弟が思春期に入った頃、ただでさえコミニュケーションが苦手な弟は、苛立ちを段々と怒号や暴言、暴力という形であらわし始めました。

どの一言が、弟の導火線に火を着けるのかわからない中での家族の会話なんて、できるものではなく。でも何気ない会話はするわけです。すると突然(のように見える)烈火のごとく怒り狂う弟。それから逃げる事は数えきれず。自分の部屋に急いで入って、弟が入ってこないようにドアノブを泣きながら必死で抑えて過ごす日常でした。(弟の中では理由があり、突然ではないのだろうけど、当時私にはそれがよく分かりませんでした。)

私はとにかくこの家を出たい!その一心であえて県外の大学を受験し、家を出たのでした。

学生生活は謳歌していましたが、長期の休みになると、一応帰省しました。友だちも帰ってしまって遊ぶ相手もいないし。そして、また待っているのは暴言と暴力。弟からすれば、自分の慣れ親しんだ生活のパターンを崩す見慣れない存在が(姉だけど)急に現れるのが、嫌だったのだと思います。その度に、自分の家なのに居場所がないことを実感せざるを得なく、とても孤独で辛く感じました。

弟はもう、以前のような暴力は殆どありません。ただ、何か自分の思う通りにいかなくて一旦機嫌が悪くなると、 その部屋から皆が出て行かないといけません。というか、私がもうその部屋にいられません。(もしたかしたら、弟は二次障害を併発しているのかもしれません。)

現在は実家に帰るのは年に2度ほどですが、そういう状況になるたびに、昔を思い出してしまい、心身ともに萎縮してしまいます。とにかくその状況から逃げることしか考えられなくなり、まさに”思考停止”してしまいます。

この前の帰省は、私の心はヨガのお蔭でしょう、丸裸のままでやわやわだったので、その状況になった時、すんごく胸に刺さりました。一刻もその場から離れたかった。今まで慣れざるを得なかったその状況をとても新鮮に感じてしまいました。正直に言うと、もうこの家は私には無理だと、、感じてしまいました。

そして自分が頑なに守っていたもの、怖がっていたものの一端がわかった気がするし、ヨガを続けて自分を丸ごと受け止めていくだけではなく、私には他のアプローチも必要なのではないかと感じています。

過去のブログを流し読みしていると、実家を恋しがっている自分がいるようで、何だか虚しくなってしまいました。

ところで、先月から書いていた母親への想いはだいぶクリアになりました。でも、弟のことはまだ私には受け入れられていないのです。

ずっと一緒に育ってきた大事な弟。でも愛することが難しい。

罪悪感と虚しさを感じます。

 

 

今日買ってきたお花。深い紫が綺麗。f:id:azicoyoga:20170213193304j:image

 

 

 

忘れていた。

日常

久しぶりにブログを書こうと思ったらPCのキーボードがなぜか動かず。。iPhoneからの投稿。PCのダッシュボード画面を見るのも久々過ぎて、仕様が変わっていたのに今頃気がつき驚く始末です。

 

先月から今月初めまでのずどーんと重い時間がようやく終わりました。

そして始まった、ヴィンヤサヨガTT。私の自己紹介、暗かったな(笑)緊張し過ぎて頭が真っ白になってしまいました。そこで久しぶりの方とお会いし、お話しして、なんだか泣いちゃって。色々な思いを聞いて頂き、涙と一緒に流しちゃえばいいよ〜って流してきて。優しさが本当に有り難かった。先月からカウンセリングへ行ったり色々模索した中の最後の最後、つっかえてたものが流れました。

 

母のことは多分、もう大丈夫なんだと。

自分ではそれが相当のものだったと思っていたけれど、今はもう、そこじゃないみたい。随分長い間抱えてきた思いだったけど、自分の周りの満ち足りた世界にようやく気がつくことができて、過去に生きていた自分に気がついた。

母は大好きだし、年に数回会える時には一緒に遊んだり、話したり。楽だし、安心できる。言いたいことも言える。たまにはムッとする事もあるけど、それはお互い様だろうし、親子とはそんなものだろう。

 

ではなんで、こんなに重苦しく、動けなくなるほどの気持ちの浮き沈みがあるのか。

今まですっかり忘れていました。遠い昔のことだったし、自分の中で当たり前過ぎて、、、。

 

私は実家が大嫌いで、早く家を出たかったことを、忘れていました!!わーなにそれー(呆)

忙しかったり、今は離れていたりしていて、普段は意識しないんですが、年末年始の帰省からの流れだったんですね。色々こんがらがったものが解けていったら、意外とシンプル(なのかしら⁈)なのでした。

 

 つづく〜。

 

でも、今度お母さんに会ったらハグしようっと。アドバイス、ありがとうございます。

 

f:id:azicoyoga:20170210141247j:image前屈のポーズ。お腹ぼよんぽよんにするのが大事。by『Yogini』

 

 

節分

ヨガ 子育て 日常

今日は節分。

息子の幼稚園には、とても怖〜い鬼がやってきます。

 年長の息子には、豆まきが今年最後になるので、初めてこっそりと見に行ってみることにしました。

私が着く頃にはもう豆まきは始まっていました。太鼓と共に地の底から響き渡る鬼の太く大きな声と、逃げ回る子、豆をまく子、勇敢に鬼に立ち向かう子。恐ろしい阿鼻叫喚の図が繰り広げられていました。

というのは想像で、窓が閉まっていてガラスの反射で部屋の中は殆ど見えませんでしたが、子どもたちの悲鳴と、太鼓の音、なまはげのように何かを叫んでいる鬼たちの声はよく聞こえました。

とっても楽しそう!しかし中には泣く子もいるようで、毎年この日は行きたくないと、駄々をこねる子もいるそうです。小さな子には若干トラウマかもしれません(笑)。

 

 

 

話は変わり。

先週から昨日まで、私はほぼ動くことが出来ませんでした。

びっくりするほど(笑)何もせず、部屋で寝っぱなし。最低限の家事と身繕いで、本当に何もできませんでした。掃除もできず、ブログも書けず。

久しぶりに身も心も重くて重くて、座っていることもできず…少しやばいなぁと思いました。

どうやら、最近色々な事を考えすぎていたせいのようだけど、それにしたって極端だなぁと。

こういう時は「掃除しなきゃ」「ご飯作らなきゃ」「ヨガしなきゃ」「〜の用事済ませなきゃ」という思考に、いつの間にかなってしまっています。そして出来ない自分に自己嫌悪。

 

もうしんどいなぁと思って、「しんどいなぁ」と口に出したらほんと少し楽になりました。

身体が動きたくないのなら、動かなくていいやと思いました。

考えすぎているな、と自分を振り返り。

やりたいこと、思ったことに対して動いていこう。

 

今日は少し動くことが出来て、鬼さんも見に行けて、用事も少し済ませられて、よかった。

明日も少し動けそうだな。

 

明日は立春

 

 

日常

がんばっていたんだね。もうがんばらなくていいんだよ。

小さな私に今の私が掛けた言葉。

 

 

あぁ、そうか、私は母親とは違う人生だ。母親に添わなくていいんだ。

私は私の人生を生きていっていいんだ。

 

母親の手を探して、一生懸命に繋ごうとして、片手を高く挙げている小さな私が見えた。

その手を、空の中に挙げている小さな手を、ぎゅっと掴んだのは、、、今の私だった。

これからは、私がその手を握るよ。

だから安心してね。ずっと一緒にいるよ。

今までひとりでがんばってきたんだね。

もうがんばらなくていいからね。私があなたのお母さんになるよ。

 

お母さんはお母さん。

私は私だ。

お母さんの生き方と、私の生き方は違うんだ。

当たり前のことだけど。

違っていて、いいんだなと、改めて思う。

お母さんは私に特別なことは何も望んでいないように、私は、、もうお母さんに何かを望まなくていい。

 

お母さんは、お母さんの立ち位置で私を見ていてくれていた。ずっと昔から。 

 

お母さんは苦労しただろう。沢山のものを抱えていた。今も抱えている。

愚痴も言わない。

お父さんの愚痴は言うけれど(笑)

弱音を吐くのを聞いたことがない。

それなのに、精一杯、

私のことを見てくれていたんだ。

応援してくれていたんだ。

 

もう、何もいらないではないか。

これ以上、何を望む?

もう、、、充分だったんだ。

 

でも、私の中での小さいさんは、時々、不安になったり寂しくなったりする。

でも、これからはいつでも私がその手を握る。抱きしめてあげる。

だから、大丈夫だよ。

 

 

母からもらった精一杯の愛。

私の家族。

そばにいてくれて、応援してくれる人。

もう、一人でがんばらないで、そして、周りにいてくれる人の力を少しずつかりたり、お返ししたり、そうやって生きていく事の方が、居心地がいいのかもと思うし、そうやって生きていけるのであれば、そうしていきたいと思いました。