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Simple Chic Yoga

私(azico)、夫、子ども、出目金(デメー)の3人と1匹暮らし。ヨガな日々を綴っています。

私の中の私

今週からいよいよ春休みが始まりました。

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来月からは小学校にあがる息子。入学準備で何かと気忙しい日々を過ごしています。

ところで今日は日中1人になる時間があったので、さっと掃除をしてハーフプライマリーまで。

背中側、背骨より右側、ちょうど肺の裏あたりが呼吸で膨らむたびに少し張るような感じを受けました。でも、その張る感じをそのまま感じていたら、なんだか心地の良いような、あぁ今はここなんだな、とわかるというか。

その状態を感じていたら上半身、特に肩や首まわりがガチガチなのに気がつきました。

 

そして今日は、ふっと浮かび上がった自分の姿が見え。

普段意識していない部分からそっと出てきてくれました。

その姿は、、、凄くいじけていました。

部屋の片隅で壁を向いて体育座りしてるような感じ(笑)

こちらから見ても顔は見えず、表情はわからないけれど、全身全霊いじけていますオーラを発揮していました。いじいじと。それはそれはいじいじと(笑)。

おおーいじけてる!いじけモード全開だ!と思っていたところ、あろうことか意識している部分の私はその姿の私を馬鹿にし始めました。

なんでこんなにいじけてるのー⁈

ダサすぎー暗すぎーうけるー!ケラケラ

みたいな。指を差して笑う感じです。

おぉ馬鹿にしている!私が私を馬鹿にしている!と驚くのと同時に、なんだか納得もしてしまいました。

まだまだ受け入れたくない自分がいて、隠そうとしたり、誤魔化そうとしたりで必死なんだな、と。

いや、もしかしたら、それが自己評価なのかも、とも感じました。世間で言う所のいじけたやつ、ダサいやつ、暗いやつ。そんな風に自分で自分を馬鹿にしている。

 

今はいじけ虫なんだよね。いじけたいんだね。わかったよ。なんでそんな風になったのか気にはなるけれど(この答えもそのうち見つかると感じる)

暗くてもいいんじゃん。ダサくてもいい。というか、暗いとかダサいとか、そういう相対的な評価はいらないし、ないよね。そうじゃない。

暗いとかダサいとか、そういう枠に当てはめること自体ができないと、きっと私自身は知ってる。

 

いじけている自分がふわっと見えたこと、なんだかじんわり嬉しかったです。

また感じたら、今度はそばに座ろう。

 

 

爽やか卒園式でした

久々のブログです。

下書きにはちょこちょこ書いていたのですが、その文章をさらに深めたり推敲する時間もなく。そして、また新しくこの文章を書いています(笑)。

先週は息子の幼稚園の謝恩会、そして卒園式がありました。

 

通園路に咲く椿。大好きな花だけど、品種がわからず…。f:id:azicoyoga:20170322203222j:image

 

卒園式の前日、最後の朝の通園。

いつも通りの通園路を通り、いつものようにクイズを出しながら歩き、家々の庭で咲いているお花を見ながら2人でてくてくと。

いつもよりニコニコしている我が息子。 私の顔を見てニッコリ。 つられて私もニッコリ。 何も話さなくても2人でニコニコ。 あっという間に幼稚園に着いてしまいました。

思えば、様々な出来事のあった3年間でした。

息子にとっては初めての社会参加で、親や身近な大人以外の大人たちとの日常生活、同い年のたくさんのお友達との関わり、たくさんの刺激と経験だっただろうなと思います。(と同時に私にとってもなかなか濃い3年間となりました。)

 

笑いながら、泣きながら、歌いながら、何も話さないまま、でも手はしっかりと握りながら歩いた道。

これからは私の手からは離れ、一人歩いていく息子。

卒園式当日もしっかりとした足取りで軽やかに歩いて行きました。

息子の凜とした横顔を見ると、大人になったんだなぁ…と感慨深かったです。

 

赤ちゃんの頃は文字通り身も心もぴったりくっついていた息子と私。

それが少しずつ少しずつ、二人の間には程よい空間ができてきて、今ではいい感じに2人並んで立っている感じです。

(独り言…あぁ、私は確実に歳を重ねている笑。若人が輝いて見えます。)

 

息子がここまで無事に成長できたのも、今までたくさんの方と出会い、関わり、様々な経験をさせてもらい、その中で親子でたくさんのことを学ばせていただいたおかげだと思っています。

本当にありがとうございました。

息子は、これからさらに様々な事を見て、聞いて、感じて、考えていくのでしょう。

今までがそうであったように、親である私も様々な局面を迎えるのでしょう。

ドタバタ焦ったり、悩んだり、落ち込んだりすることもたくさんあると思います。

そんな時、いつも立ち戻る処は自分の中にあるということを忘れずに、日々を過ごしていきたいと思います。 

 これからもよろしくお願いします。

 

 

 

今日の覚え書き

久しぶりにいつものヨガレッスンを受けにいきました。

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集中すること

感覚を感じること

そうすれば普段日常でも感じられるようになる

いま、こうしている、いま、こうやっていることを感じること

感覚に時間軸はない

 

過去も未来も比べることなく

自分も他人もジャッジすることなく

ただただ自分の感覚を認めること

 

痛いな そうなんだ

気持ちいいな そうなんだ

張ってるな そうなんだ

伸びないな そうなんだ

そうなんだね と受け入れて受け止めていくこと

 

左右のアンバランスについては右半身は右半身の、左半身は左半身の使い方で無理をしないこと

 

 

シッティングではカチカチしないで呼吸と動きを連動させる

ナヴァーサナ もう少し背中を後ろに下げてみる

肩、腕の力抜く

 

以上!

 

 

 

来週から春休み、来月も何かと忙しいだろうと思うので、今度はいつ行けるかな?

地道に続けていこうー。

 

  

いつも通りのお弁当

今日で幼稚園のお弁当は最後になりました。

すっかり春めいて。見事な梅でした。f:id:azicoyoga:20170314154128j:image

息子の通う幼稚園のお昼ご飯は、給食とお弁当の混合型でした。

息子は年少の頃から給食が苦手で、少し頑張って食べるとえづいて吐き戻してしまい泣いてしまったり、給食への苦手意識から登園拒否になってしまうこともあったり。

私は、まぁ親としたら当たり前というか、好き嫌いなくしっかりと食べて欲しいと思っていたので悩みました。給食に慣れるように苦手なものも少し入れたお弁当や、品数を給食の品数と同じに作ってみたりと色々工夫もしてみましたが、結局あまり効果はなかったような・・。

 

そもそもなぜ私は、好き嫌いなくしっかり食べて欲しいと思っていたのでしょうか?

息子のことを思えばこそ、と思っていましたが、実はそれだけではありませんでした。

自分自身そうして育ってきて、それで苦手なものがあまりないのだ、という自負心。そしてきちんと食べさせないと母親である私の評価が下がるから、という思い。

そんな自分の心の内を覗き見て少しショックを受け、そしてそこにこだわっている自分が情けなくもありました。少し疲れてしまい、もういいや、少しくらい残したって。と思ってからはお弁当も息子の好きなもの、食べたいものを聞いて適当に作って持たせていました。

そうして月日が流れ、年長の今では、給食を1番に食べ終わったよ!と報告してくれることも増えました。結局こちらが何か焦ったりしなくても、必要な時に必要なだけ、ちゃんと育っていくのだなぁと感じました。

残さず全部食べるのが大事とか、好き嫌いなくきちんと食べるのが良い子とか、自分の中の、なぜか当たり前になってしまっていた所やいわゆる世間的な常識とか、「ものの見方」を「本当にそうか?なぜそう思うのか?」と自問自答することはとても大事だなと思う次第です。

  

今日のお弁当も、いつもと同じようなお弁当を作りました。

思えば、いつもご飯粒一粒残さないで食べてきてくれました。

ママはそれだけで嬉しい。明日は幼稚園最後の給食だ♪

 

 

  

休む暇のない自分

気がつけば毎日練習。

毎日同じシークエンス。

でもでも、呼吸や中身や動きが違うんだ。

これは同じ人間なのだろうか?と思うほどで。

自分を構成するすべての粒子は一粒も同じくい続けるものはないのだな。

すべては一瞬なのだな。

同じように思えるすべては違うのだな。

その違いなどを観察し続ければいいのだけと、頭ではわかるのだけど、

気がつくとついつい考えている。

違いについて、同じについて、それについて、考えている。

休む暇なく考えている。

 

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息子語録

昨日は春らしい陽気に誘われて息子のお気に入りスポット、隣市の科学館へ入ってきました。

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科学館の隣には公園があり、その公園にあるトイレには屋上があります。

そこから眺めて周りを見渡していました。

気持ちいいね〜!きれいだね〜!という私、

息子もきれいだね〜と言っていましたが、その次に一言。

 

こうやって人生が終わっていくんだね!(ニコニコ)

 

・・・・

 

びっくりしてしまって、思わず言葉が出ませんでした。

死を連想させる言葉に、親の教育のせいかなと少し焦り。

しかし、私が常日頃持ちたいと思いながら忘れてしまっている、俯瞰の視点だなとも感じました。

 

なんだろう、、、まだ6歳なんだけど、冷めてるっていうか、達観してるっていうか、、。

以前も書きましたが、これとかこれとか、はっと気がつかせる一言を、何の気なしにさらっと言ってのける息子を見ていると、子どもの方が余計なものを身につけていないぶん、大人になった私たちにはもう見えなくなった色々なものが見えているんだろうなぁと思います。

 

何気ない日常を、一瞬を、味わいながら生きている息子。

親は子どもに色々なものを与えていると思いがちですが、実は子どもからの抱えきれないほどのギフトもたくさんなんだなと思います。

 

 

自分の行動

自分が楽に感じる方へ舵を取ることにしました。

車窓からの夕景。よく見ると(見なくても)色々ぶれています。f:id:azicoyoga:20170228183023j:image 

誰かと一緒にいる時、何かをしている時、過剰に自分をよくみせようとしていたことはわかっていました。(←プライド高し君)

それが優しさだと思っていたり、礼儀だと思っていたり、でも結局、嫌われたくないのであって。他人を見ているようで見ていない。他人を利用して自分しか見ていないことに薄々気づきつつも日常に埋没していく意識。

しかしそういうのが、なんだかしんどくなってきました。

自分は一人でも平気と、あえての一人行動も、もう疲れた。

一人でいながら、周りが気になりチラチラ見てしまう自分にも疲れた〜。

誰かと一緒にいたい時は無理せず一緒にいる。

一人でいたい時は無理せず一人でいる。

それだけ。

 

自分の言うことや思うことより、何より自分の行動だ。