読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Simple Chic Yoga

私(azico)、夫、子ども、出目金(デメー)の3人と1匹暮らし。ヨガな日々を綴っています。

心の澱

ヨガ

f:id:azicoyoga:20161022143844j:imageシャバアーサナはヨガのアーサナの中で一番難しいと言われます。

日本語に訳すと「屍のポーズ(死人のポーズとも)。」

身体中のありとあらゆる力を弛緩させ、手足を大地に投げ出して仰向けで休むアーサナで、プラクティスの後は必ずこのアーサナをとります。 私の先生はこのポーズに入るとき、「身体中の穴をゆるめて〜」と言います。(生きている人間は身体中の穴の力を抜くことはできません。生きながらにして死ぬ!のです。)

今日は、ヨガを始める前に軽く掃除をして、少し前から処分しようかと考えていた1枚のTシャツを、迷った挙げ句にとりあえずこのままにしておこうと後回しにしたこともあって、シャバアーサナの間「執着」や「手放す」ことについてぼんやりと考えていました。

 

ふと思い出したことがありました。

それは、息子がまだ0歳児のねんねの頃のこと。

この時期、乳児は両手をしっかりと握りしめています。埃を握っているからたまにきれいにしてやるといいよ、という話を聞いていたので実際に見てみたら、本当に埃を握っていたことがあって。自分では動くことのできない乳児がいつの間にこんなに溜められるんだろう、と不思議に思ったり、家の掃除をしなきゃ・・と思ったり。

 

ほんの少だけ身軽になって見えてきたことは、私にはまだ手を放せなくて、ゆるめられないものがある、ということ。

それはこの時の埃と一緒なんだろうなぁと。

自分ではなかなか気がつかずにゆるめられない力。ゆるめられないからまた、いつの間にか溜まっていくもの。

手放したと思っていたはずの、過去から今まで抱え込んできて自分が苦しくて仕方のなかったものや、それとは別に、まだ見えていなかった心の奥においやっていた古いもの。不安、恐怖、後悔、羨望、不満、劣等感、諦念、悲しみ、苦しみ、怒り・・・とか色々ありそう。

そういったものが少しずつ見えてきて。

その感情や思いのほんの微かな切れ端が塵のように積もっていて、心の澱のように溜まっていて。そういうものが手のひらにはまだまだある。

ゆるめているつもりでも、まだしっかりと握っている。

 

そして、それらは身体中いろいろな部分に刻まれた記憶としても残っているような気もしました。

シャバアーサナの最中、肩の力、腰の力、脚の力がふっと抜ける瞬間がそれぞれ違う。

 そうか、そうかもな・・と感じたひとときでした。

 手放して初めて気がつくことがたくさんあって、本当に面白いよ。そして、その繰り返しを続けていくんだ。

 

 

 前述のTシャツは保留ボックス(←過去記事参照)へ入れておくことに決めました。

 

手のひらにありそうなものも、まずはこのままにしておこう。そのうちに少しずつ濾過されていき、いつの日かほどけていくのだろう。そう感じています。