Simple Chic Yoga

私(azico)、夫、息子の3人暮らし。ヨガな日々を綴っています。

人生とは?

人生とは何かを獲得しながら進むものだと思っていた。

物質的なものも、精神的なものも、様々なものを手に入れながら生きていくものだと思っていた。そして、その獲得したものが自分らしさを形作るのだと思っていた。

 

生まれてから…

初めて言葉を話す、初めて歩く、義務教育を受ける、恋をする、社会に出て働く、結婚する、子どもをもうける、家を建てる、車を買う、ペットを飼う、孫誕生……そして、死ぬ。(大雑把!)

 こんな風な所謂平々凡々な人生ってどうかしら?

 

私は、真っ平御免!と思っていた。ドラマチックな人生への憧れがあったようで。

 だけど、今までを振り返ってみたら、そして(頭の中の)これからの道を辿ってみると。

こんな雛形が当たり前にあったのを見つけてしまった。。

あったんだー。。。

 

結局のところ、本当は、あんなふうに皆んなと同じように平凡に生きて、平凡に死にたかったんだ、と思っていたのだ。(多分、ここで重要なのは、この思いを生んだ自分はもうすでに他人軸であるということ。)

しかし、実際の自分は、皆んながいとも簡単にやっているようなことが出来なかった。

私はどうして出来ないのだろうか?不器用。うまくできない。失敗ばかり。

そんな思いで一杯。

で、私は人と比べながら生きるのをやめようと思った。でも、マインドは他人軸のまま。

だから、人と比べて、人と違う生き方を模索してみたり、自分探しをしてみたり、はたまたやる気をなくしてダラダラしてみたり。

自分らしさが見つかったかと言えば、全然見つからなかった。だって、他人軸のままなんだもん。人から見た、イケてる自分像を探していたのだから、他人の評価が変わる度に、自分も変わらないといけない。

なにそれ??それが自分なの?

ってな訳だ。

 

冒頭に話は戻って、、

私は自分を獲得しようとしていた。人生で獲得するであろう、あらゆるものと一緒に。

この手で自分を掴み、あるべき場所に収めようと必死だった。

 

でも、自分は、既に自分だった。

もうとっくの昔に自分だった。

生まれた時から既に在り、外から獲得してくるものではなかった。

自分の中に自分はちゃんといた。

そのことに、本当に気がついたのは、ここ最近のこと。

この自分の存在と、靄の彼方へと見失わぬように、しっかり、しっかりと繋がっていきたいと思った。 

 

私が今までの人生において、獲得してきたと思っている全ては、実は自分のものにはなっていない、ということも薄々わかってきた。そもそも、自分は何も持っていないし、何を持つ必要もないのでは?と思い始めている。

プラマイゼロで死んでいく。そんな気がする。 

 

 

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今日、Pinterestで流れてきたマムアンちゃん。彼女はいつも私のど真ん中に届く。