Simple Chic Yoga

私(azico)、夫、息子の3人暮らし。ヨガな日々を綴っています。

アサナをしない日々

今週の月曜で、7月から続いたセッションが一旦終わりになりました。

帰り際、これからもセッションを続けるかどうかは、自分でやりたかったら続けていってもいいしどちらでもいいよ、ゆっくりと考えてね、と、先生からの言葉を頂き、ヨガスタジオを後にしました。

 

 

 

アサナをしないで過ごす日々が、もう1ヶ月以上経っています。もう2ヶ月近くになるかもしれませんね。

ヨガブログだというのに、ヨガ(アサナ)をしないで話すことばかり(笑)。

近頃書くことは、本当にそうですね、ぼやーとする日々を過ごす中で去来する思いを徒然なるままに書き連ねている訳ですが…これもなかなか楽しいものだなぁと感じています。

以前にも書きました。↓

azicoyoga.hatenablog.jp

 

 

アサナをしない日々を送る中で気がついたこと。

 

毎日、アサナを頑張っていた頃、結構、しんどかったなぁって。

やればスッキリするし、頭の中の思考も最中は止めることもできた。

それがヨガの恩恵と思っていました。

(実際、ヨガの恩恵と言われるものの一つですが)

でも、その根底には、、

「今とは違う自分を目指して」

「今の自分を一旦脇に置いて」

がありました。

今の自分を受け入れられず、今の自分が嫌いで、

今の自分とはかけ離れた、「〇〇みたいな自分」を夢見ての毎日の練習。

 

目標を達成するには、苦しくて当たり前。

今の自分には無いものを付け足して行くのが当たり前。

そうも思っていました。

何かになりたくて、一生懸命でした。

 

私が行ってきたことは、

「〜の為にするアサナ」「〜になる為にするアサナ」

であったのだと、、今ではよくわかります。

(ヨガ哲学的に言えば、ラジャスティックですね。)

 

現在、アサナをしない、しようと思わない自分を責めなくなりました。(ようやく)

一日の過ごし方も、自由気ままです。

なんか、アサナができない、したくないな、と思うようになり始めてから、無理やり再開しなくて良かった。

無理やり続けていたら、ラジャスティックな自分に気がつくことが出来なかった。

 

 

以前の自分と少し違うのは、

今までの「〜の為のヨガ」がなくなってしまった為、自分の今いる場所や位置のようなものがわからなくなった気がすること。そして何処へ向かえばいいのかもよくわからないこと。もやもやの中にいて、手探り、手探り。

少し不安も怖い気もしますが、以前のような、自分を置き去りにしたままで何処か違う場所へ向かって頑張る、というような方向の気持ちというのがとても不自然に感じるようになっており、今は、まだここで止まっていればいいかもな、と感じています。

 先日のセッションで、この不安を先生に打ち明けましたが、

今までの二元的な世界から抜け出して、これまでの価値基準とは違う世界に行こうとするのだから、今まで指針としていたものがなくなり、どうしたらいいのかわからない、と感じるのは普通のことなんですよ、とのことでした。

 

さて、自分はどうするのかな〜???