Way of my Life

心たゆたうまま、まるまると生きる

本音で生きる

本音で生きるってね、むつかしいね。

まず、本音が、、改めて考えると、、意外とわからないね。

自分の本音、、。

私は、よく食器洗いをしていると、ぼんやりと自分の気持ちが内側から湧いてくる。

お皿を洗いながら、水の音を聞きながら、心の声を聞いている。

 

 

私は、家事が全般に苦手で。

面倒、やりたくない、好きじゃない。

何故か?

まず、終わりがないし。

どこまでするか、も全て自分次第。なので、

ここまででいっか、と思うと同時に、えー⁈もっとやれるでしょ?何でやらないの?まったく!

みたいな自分の声が聞こえてくる時が結構ある。自分に文句言ってる自分。

これがまず、嫌だということ。

それから、先程も書いたように、何か家事(私にとってそれは食器洗い。作業に集中しなくても、いやしているのだが、手を動かしていれば作業は終わる)をしている時、自分が見たくない気持ちや感情がムクムク湧き起こってくるのが、結構しんどい時があるなぁ…ということ。

上記の2つは、家事をする時の私の脳みその動き。しかし余りにナチュラル過ぎて、気がついたのは最近のことだ。

だから、わたしは家事全般が苦手というか、嫌いなのだ、と推測する。

もやもや浮かぶ思いはともかく、例えば、掃除終わろうかなみたいな時に、まだやんなさいよ!まったく!って言う自分、、何だかやだ。嫌い。

ま、リアルな自分は、もうここまでやったんだからいいじゃん!と、やめるんですけれど。もう、このやり取りが不毛過ぎる。

はっきりしているけれど、家事が嫌いな訳ではなく(いや、多分面倒は面倒)この自分とのやり取りが嫌なんだね。

 

話を冒頭に戻し、

食器洗いの最中様々なことが浮かんでは消えていく。

キャッチする間も無く消えていくことも多い。

この記事は、食器洗いの後に急いで書いているのだけれど、、、もう忘れてしまったこともある。だから、今回の記事、着地点があったはずなのに、、忘れてしまった。

追いかけようかと思ったけれど、また明日の食器洗いで浮かんでくるのは分かっているから、また明日。書くかもしれないし、書かないかもしれないし。

 

あ、思い出した。

本音で生きるって、むつかしいって、、なんで?って、、

わたし、やっぱり傷つきたくないんだな。

小学生の頃、お友達から言われたことがまだこびりついている。あ、でも言葉そのものは覚えていないぞ(なにそれ!)

とうに終わった、はるか昔のことなのに、

本音、という言葉とセットで脳内に蘇る感覚。

最終的に思ったのだ。

わたしは、思うままに生きたらダメなんだな。

わたしは、世界に受け入れられて貰えないんだな。(斜め線の受け身な言い方、モヤモヤするわ)

そのプログラムを

今も、そのまんま繰り返している。

脳みそってすごいね。高性能すぎやしないか?省エネへの熱意には脱帽だけれど、、、

今、リアルタイムでわたしは、それは自分でしょ?省エネ願っているの、自分でしょ?って言っているのも感じる。

 

・・・

 

話はうんと変わって。

現在、ヨガ哲学講座を受講してるのですが。

その中で、人間の脳の神経細胞は13歳で形成が終わってしまう、という話を聞いた後に、小学生の頃、不思議な感覚があったことを思い出した。

今まで、すっっかり忘れていたんだけれど。

 

11歳くらいの一時期、

自分の頭の動きが緩慢になってきたのを感じた時期があった。今までの、閃きとか、瞬間のワクワクした感覚とか、鮮やかな感覚が少しずつ鈍くなっているような感覚で。

私自身はそれを感じながらも、あ、私、これからこのままで生きていくんだ。っていう感覚もあり。

そうそう、思い出した!

当時、気がついたのは、行動や考え方が、だんだんと同じ反応しか出来なくなってきたこと。それより以前の私は、ある出来事があった時のリアクションが、ある時はAだったり、また違う日にはBだったり、と自分で瞬時に選んで出来ていたのに(説明がむつかしい)その頃から何も考えないでいると、同じリアクションしかとれなくなってきたのだ。出来てもCとC'の違いくらい。

最初はあれ?どうしちゃったんだろう?位だったのだけれど、ナチュラルに反応を選ぶ事が難しくなってきたのがわかったきた時、自分はそれが嫌で、あきらかに鈍い感覚だし、それに大きな何かに流されていくような、自分オリジナルではなくなってしまうような、そんな感じもあって、

何とかしたい!もっと幼い頃のように、鮮やかにいろいろ感じたい!オリジナルのままでいたい!と思い、頭の中で自分なりに抵抗してみたのだけれど(その時の感覚を今、言葉にするとこんな感じ)あまりうまくいった感覚もなく。しかも抵抗しないでいると、すごく感覚が楽なのもわかってきて、、頭の中の感覚がね。うまく言えないけれど。

そんなこんなで結局、いつのまにか抵抗することもやめてしまって(日常生活を送りながら抵抗していくのはすごく難しかった)それにつられるように昔の鮮やかな感覚も少しずつ忘れていった。

自分を信じて抵抗すること、昔の感覚を維持することを途中から諦めてしまって、最後まで成し遂げることが出来なかった自分に対して、悲しかったり許せなかったり寂しかったり苛立ったりな、ごちゃ混ぜな感覚が残ってしまったのも、覚えている。

 

子どもの時のその感覚って、ニューロンが伸びるのをやめた時だったのかな、と、ふと思った次第です。そうだとしたら、私は11歳で成長が終わったのか…早い…。

中学生の頃も似た感覚があったけれど、それは思春期の何か、か、中学生で完成されたのか、も。

 

この記事書くの、頭疲れたー。

 

ヨガってこの頃の脳みそに戻す事だよね。

そっか、対抗する術を大人の私は手に入れたのか。そっか。今ならやれるのか。

そっか、そっか。やるしかないな。