Way of my Life

心たゆたうまま、まるまると生きる

世の中頭の中

いろいろとぶっちゃけすぎやしないかと

内心ヒヤヒヤしながらブログを書いております

 

エゴの話を昨日からボソボソ呟いております

エゴがなくなったらそれは覚者と言われる人になるのだろうと思われます

 

自分はとてもエゴの強い人間だと思います

あ、これもエゴの罠?

エゴが強いから、エゴを見ることがよくできるんだと、

その為に、エゴを使うのだと、

そう思いましたが、

もうすでにこれがエゴの罠なのか、、?!

エゴの生存へのとてつもない執着を感じてみることにする

 

エゴの意識が小さくなると

自分と他者の境目がなくなる

まるで、ひと続きのなだらかな丘陵のようで

広々と気持ちが良い

 

自分のことで精一杯の時

エゴエゴしい時

他者との繋がりは薄れ、またその繋がり自体を感じることが難しい

というか、その意識が頭から抜けている

 

自分の世界が大きくなったり小さくなったり

広くなったり狭くなったり

 

被害者意識の妄想の世界に浸っている時は

確実に狭いっす

しかしどっぷりに浸かると

自分で気がつくことがむづかしかったり

 

ヨガアサナしながら

どっぷり浸かっている時もあるし

ヨガアサナしなくて

広々している時もあるし

 

ヨガアサナしている最中

新しい視点をもらえる時もあるし

どっぷりがさらに深くなる時もあるし

でもでも

今日思ったのは

タダーサナの中心を探る時にすでに

もう自分の内側に戻っている時で

ただそれだけでいいんだって感じたり

自分がいかに外側に向いていたかを感じたり

仏師が仏像を彫る時に

一本の木を見る

一つの石を見る

その時すでに

もう仏の姿は目えていて

あとは、その見えている姿を彫り起こすように彫っていく

という、感覚が

なんとなーく、、うっっっっすら、、、、、わかった気がする

ということでした

 

自分の中に完璧な自分がすでにいる

 

でも

数十年

この世界で

この肉体をもち

頭と心を使い

一生懸命、

それはそれは懸命に

生きてきた(遊んできた)この体は

本来の自分の姿ではないのだな…と

 

これは

今の自分を否定するものではなく、

ただただ、「違うのだな」と、

感じた今日でございました