Way of my Life

こころを綴る

乱文

久しぶりに時間が取れたので、ブログのカテゴライズをし直そうと思って過去記事をサラッと見てみたのだけれど、余りの記事の多さに面倒になって早々に諦めました自分です。

 

 

帰省して感じたこと。

親を疑うこと=自分を疑うこと

と、

なんとなく感じた

 

先日の記事にも書いたけれど、、

親への違和感が今でも拭えない。

 

そして、少し悲しくなった。

 

結局、親が無意識に行なっている言動は、

まるで自分を観ているようだ

 

だから、こうなんだ、、

だから、今、自分はここで苦しんでいるんだ、、

と妙に納得するのだ

 

やはり、立ち返るは自分であり、

先日は偉そうに色々書いたけれど、

観るべきは

親ではなく

自分の内側

 

親との葛藤を抱えやすい星回りの自分は

ここで、ものすごい勉強になるのでしょう、、

 

 

 

 

以下、本日書く

 

今日はタダヨガサットサンガ

 

親の行動、言葉、、に苛立った自分

 

何故だろう?

 

期待するのを私はもうやめたのだ。

本当は、とってもとってもとっても期待しまくっていたけれど、

もう無理だ、苦しいだけだ、と諦めたのだ。

それを、なぜ?親はまだ、持ち続けているのだ?

と、情けなく思ったからだ。

同じように苦しんでいないからだろう!!!

と、、あぁ、ここでも私は自分が一番不幸の女王として、

復讐を果たそうとしているのかもしれない。

復讐しようとしているのは、私なのかもしれない。

 

私の根底にあるのものは、一貫して、

「自分は悪くない」

と、いうことだ。今書いていて気が付いた。

これは、きっと前からの持ち越しであり、自分の課題だ。

 

あぁしかし、

ここからどう抜け出せばいいのだろうか。

 

実家の出来事の方が、私にはリアルに感じられる。

ここにいるのに、ここにはいない自分。

ここにいるはずなのに、薄い感覚。

夢のようで現実感もないのかもしれない。

親の一言、実家の出来事で、すぐ昔に引き戻される。

まるでTime Machineである。

飽き飽きするような時間旅行を何遍も繰り返している。

 

 

さっき、

スーパーで大根を買った。

自転車のカゴに入れて家に帰る最中に思った。

この大根を、私はどうして手にしているのだろう?

何故?この大根は私の所に来たのだろう?

 

 

私が求めたからだ。

自転車には確かに大根が入っている。

でも、この大根と、今の自分と、同じ世界にはいない(気がする)

同じ世界にいないのに、なんで求めることができて、

なんで、一緒にいるように感じるのか?

 

この見立ては間違っているのかもしれない。

でも、美味しそうで、食べたくて、自分が買った大根だ。

一瞬、触れ合って。

一期一会の大根。

この、カゴに入っていることがとてもレアなことだと感じた。

 

一人でいると、自分が何者かわからなくなる。

みんなが違うから一緒にいるのだ。

という話に心から納得した。

そうだと自分も思う。

 

だとしたら、

私は、

自分の家族を観た時、どんな自分を発見するのだろうか…

発見するのは、、、怖いな。凄いものが出てくる気がする。

でも、そこを観ていくことが、生きることなのかもしれない。

それが、生きる、ということなのかもしれない。

とすれば、

やっぱり綺麗にキラキラと生きていく、を目標に掲げていた自分は、

随分と方向を間違えていたようだと、改めて思い知らされた1日だった。

 

次回、

「自分は悪くない」について。