Way of my Life

こころを綴る

体験に紐つく感情

自分に対して、批評家になってはいないか?

自分に対して、自分の言動について、傍観者的な姿勢のまま、自分では何もしない人になってはいないか?

言葉的にこんがらがるが、

今までの自分はそうだった。

ってことに今日気がついた。

 

 

自己表現について。

私は自分の今までの体験と、感情を切り離したものを表に出そうとしていた。客観的に…と思っていた。

言葉にならない変な苦しみを感じながらも、自己表現として「それ」を表に出そうとしていた。

そこを切り離したらね、突き詰めると、

私が話す必要なんて、なくなるんですよ。

ネットで調べたもので、十分なんですよ、、

って、そこに気がつきつつも自分の体験を話すこと(表に出すこと)に怯えている為、ずっと何だかごちゃごちゃしていたように思う。

その為、体験と感情の結びつきからの言葉を出すことが出来ていない。

 

体験を自分のものとしているか?

苦しかった経験、逃げたいような出来事、を

我が事として受け入れているか?

また、反対に感情を自分のものとしているか?

我が物として受け入れているか?

 

ここで言う、自分、とは、notアートマン

この世界を体験しているマリオのこと。

マリオが、マリオやっている時、マリオだっせーとか、なんでピーチ姫助けなきゃなんないの?とか思わない。そういうこと。

私、マリオだっせー、ピーチ姫助けるの面倒くさーって思いながらマリオやってきたってこと。

 

 

体験に紐付く感情をも、結局どこかで批評している。

そして、体験に基づく感情の揺らぎは隠す必要はないのだー!

出た!私の隠し癖ーー!

 

 

なぜ、自己表現(表に出すこと)が怖いのか。

表現するんだ、と決めているのにできない。

外に出した時、

え、そこで躓いてんの?って誰かにプゲラッチョされるのが怖い。要するにバカにされるのが怖い。

バカにされるかもしれないし、されないかもしれないし。

そんなの分かんないのに。

 

自己表現、

受け入れてもらえなくてもいい、とは思いつつも、

受け入れてもらえると、やっぱ嬉しいんよな。

この感情は、単なる承認欲求を満たしただけ、と切り捨てたくないんよな。

あー、、自分で自分をプゲラッチョしているだけか。

嬉しい時に自分でプゲラッチョしているんか。

嬉しい時も悲しい時も、自分で自分にプゲラッチョしているんか。

 

マリオだって気がつきつつも、マリオ真剣にやらんばいけねーby新潟弁